新年明けましておめでとうございます。今年に入って10日が過ぎて、ようやくブログを書く気になった雪灯です。
新年早々何をしていたかというと、家族団らんや親戚への挨拶の傍らでせっせと卒業論文を書き進めておりました。ようやく終わりが見えてきたようでまだまだ少し道のりは遠く、早めに取り掛かっておいたら良かったなーなんて少し思います。
年末年始らしいことといえば、2年ぶりに親戚と餅つきをしました。当日は諸事情で体調が悪く、手返しひと臼分しかお手伝いできなかったのですが、親戚とじっくり話せて楽しかったです。
あとは初詣でおみくじ引いたら凶でした。悲しい。「才能だけではどうにもならないことがある」みたいなことが書いてあったので、今年は自分の才に溺れず努力も大切にできる1年にしたいなと思います。
改めて、candleも含め、今年もよろしくお願いします。
さて、今回のブログは前回の内容からちょっと派生して。例のブログで「別のブログで書きます!」って言っていたことをテーマにして書いてみようと思います。よろしければお付き合い下さい。
ちなみに例のブログはこちら→別れるということ
私と友人
前回のブログで、私は大切な友人をなくしたときのことを書かせて頂きました。彼女がこの世を去ってから1年と少し、それを受け容れられているのかといえばすごく微妙なラインに私は立っています。それが起きたのはあまりにも急すぎて、昨年の今頃は茫然としていました。冬休み明けで授業が再開しても彼女はどこにもいないし、出欠確認で彼女の学籍番号(小学校・中学校・高校でいう名簿番号のこと)を呼ばれる度に現実を突きつけられる。学年が変わって学籍番号が呼ばれなくなった今は、その飛ばされた番号が現実を見せてきます。彼女がいなくなったことに慣れていないといえば嘘になるけれど、受け容れてしまえば彼女のことを思い出ごと過去のことにしてしまうから、それがすごく嫌なのです。
“ねえ。もう1ヶ月も経ったんだってよ。アンタが死んでから。今期の大学はもう行かない。補講も今日で全部終わったから、もう2ヶ月くらいは行く必要が無い。でもその2ヶ月後が来ることが、私にはすごく恐ろしい。
だって、その時には貴女がいた痕跡なんて、大学には何一つ残ってないんだ。貴女が座るはずの席を示す座席表もないし、履修登録に貴女の姿が見えることも無い。ほんとは今日だって辛かった、周りと一緒に笑っている反面で、貴女がいるはずの席はずっと空席だったから。それが私の中で当たり前になってきてしまっていることが、どうしようもなく苦しくて辛いの。”
この文章は、私が友人をなくした時期に書いた文章の一部です。ちょうど1ヶ月経った日の夜中に書いたのかな。あの時ほどのショックは無いにしろ、未だに私の心には穴が空いていて、塞がらないままでいるのです。
周りの言葉と自分の気持ち
この文章には続きがあります。
“いろんな人が、彼女の死を知ると、彼女のご両親のことを心配した。もちろん私のことも心配していたのだろうけれど、なんとなく私が持っている彼女の死の哀しみを蔑ろにされたみたいで、それはそれでしんどかった。私が知らなくて彼女のご両親しか知らない彼女がいるのはもちろんだけど、反対にご両親ですら知らなくて私だけが知る彼女もいるのだ。1番悲しいのは彼女のご両親やご遺族だ、なんて比べないで欲しかった。私も同じくらい悲しくて苦しいのに、この哀しみは正確に理解されることはないのだろうと感じてしまった。”
この日に書いた文章はこれで全部ではなくて、ほかにももっと私の気持ちを書いていたけれど、今回は割愛させて頂きますね。というのも、このブログで書きたいことの本題はこの部分にあるからです。
当時このように文章として残した通り、友人の死を知らされた時も、私がそのショックで打ちひしがれている様子を見て周りが声を掛ける時も、必ずといっていいほどご遺族の気持ちと比べられたんです。私はそれがすごく辛かった。
彼女のいなくなった悲しみや辛さは同じように持っているのに、どうして順位付けされたり比べたりされなきゃいけないんだろうなってずっと思っていました。ご遺族が1番辛いとか、私は1番辛い訳じゃないとか、一体誰が決めたのでしょうか?? 同じように悲しみや辛さを持っているはずなのに。
確かにご遺族の悲しみや苦しみ、辛さややり切れなさは私もとてもよく理解できます。だけど、私も同じように辛いし悲しいし、やり切れないのです。そのショックは1年以上経った今も、完全に癒えてはいないのです。大切な人をなくしたのは私もご遺族も変わらないのに、そう言われてしまうと私がそれだけショックに打ちひしがれていることや、今も彼女のことを引きずっていることはおかしいことなんだろうか、と気持ちのやり場が無くなってしまうように感じられました。しかも、そう言うのはひとりじゃありません。周りにいる大人の多くが私にそう言うのです。そんな状況があったので、友人をなくしたショックや悲しみややり切れなさを私は今も誰にも相談できずにいます。
気持ちは比べるものじゃない
以前のブログで言葉についても同様のことを書いたと思いますが、感じ方や捉え方は人それぞれで、同じことでもその人の立場によって違う感情を抱くのは当然のことだと私は思います。家族という立場と友人という立場も、似通っていて本質的に違う部分があります。
だからこそ、その人が思ったことや感情を安易に比べるべきではないと私は思うのです。
比べるという行為には、少なからず優劣がついてきます。何かが優れているとか、どこかが劣っているとか、それをはっきりさせる行為のひとつが比べることです。なにかの調査をするときなんかはとても役に立つ行為ですが、人と関わる時に限っては、私は比べるという行為が嫌いです。
人付き合いは損得勘定なく行われるものであり、感情や経験はその人にしか持つことができないものです。どちらも、何かと比べる必要はありません。『その人が感じたことはその人にしかわからない大切なもの』なのではないかと私は思うのです。だからこそ、友人をなくした時にかけられた無神経な慰めの言葉が私には今も引っかかってしまっているわけで。
そしてきっと、それはどんな場面でも言えることなのだと思います。「私はこう思う」というみんなの気持ちはとても大切なものです。だけど、その中で「私はこう思っていて、ほかの人はこう思っている。それは両方とも大切にしなければいけない価値観なのだ」と、そうやって考えられる人がこの先増えていってほしいなと思うのです。周りの人の思いも大切にしながら、自分の思いを大切にできるような生き方であって欲しいなと思います。
と、いうわけで今回のブログはこんな感じで終わろうかなと思います。眠いので分掌が支離滅裂になってそう。やだな。
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それでは、またどこかでお目にかかりましょう!
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雪灯
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