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私が『candle相談員の雪灯』になるまで

 

大学は未だ夏休み、ますますオタク街道を突き進んでる気がします。どうもこんにちは、雪灯です。今回書き始めた時間は夜中じゃなくて、夕方と夜の中間地点くらいの時間なんですが、さっきまでチキンラーメンを食べてました。じゃがバタ味美味しかった。

先日は某所のアニメイトで推しグッズを購入し(なんなら通販でも)、また別の日には友人にゲームの布教をするというなかなかな生活です。なんならゲームの周回もちょくちょくする・・・・・やることやらなきゃなあ。

さて、今回はそんな私の生育歴というか・・・・・わかりやすくいうならば、『雪灯という相談員が誕生するまでの生い立ち』について綴ってみようかなーと思います。とはいっても以前にインタビュー記事にして頂いたものがこのサイトに残っていますし、どうせならここに載っていないことを中心にお話ししようかな。当時大学入学して少し経ったくらいの私も、今や卒業を控えるくらいですから、あの時語りきれなかったことも書けるだけ書こうかなと思います。最後までお付き合い頂ければありがたいです。

ちなみに以前のインタビュー記事はこちら⇒生きていれば、いいことあるよ。死にたい気持ちと向き合い続けてきた中高生時代【元不登校生インタビュー 第4弾】

死にたがりの中学生

私はそもそも、小学3年生の時に既に「死にたい」って口にしてたんです。手のかかる弟や妹をお風呂に入れなきゃいけなくて、でもどれだけ頑張っても言うことなんてきかないじゃないですか、保育園児とか未就学児なんだから。父親は仕事でいなくて、母親も家事で忙しくて、私もやることはきちんとやりたくて。キャパオーバーになって、「もういい、だったら私なんか死んじゃえばいいんだ」って。それをきいた母には叱られたけど、今思えばあの頃からずっとしんどいことがある度に死にたいって思ってました。辛いことばっかりだから、死んで逃げたいなって。

それが顕著に現れたのが、中学2年生の時だったのです。

あの頃の私は、インタビュー記事にあるように部活でのストレスも抱えていました。だけど、それだけじゃなかった。元来真面目な性分が災いしてどうにもならなくなって・・・・・ああ、これは今でもそうなのかもしれないなあ。

あの時期、私はクラス関係にも随分と悩んでいたし、家族関係にも悩んでいました。係の仕事をきちんとこなそうとしても、上手くいかない。呼び掛けをしてみてもみんなは動いてくれない。家に帰れば、母の手伝いをしなければいけない。

端的にいってしまえば、『いい子であること』にずっと縛られていたのです。それに固執している私は、必然的に誰かに頼ることが苦手になり、SOSを発信することが不得意になりました。それも相まってか、当時は頭痛をよく起こして、保健室に行く頻度も高かった記憶があります。勉強面ではほとんど不自由することはありませんでした。ただ、苦手な数学や体育、技術の授業では「わからない」「できない」ということが上手く伝えられないこともありました。

成績や素行、性格だけとってみれば優等生の部類に入る私のことを、周りの大人はそこまで問題視しなかったから。『優等生のいい子であること』に無意識ながら周囲に期待されていることに気がついていた私は、そうでなければならないと思ったから。だからこそ、私は死にたくなるほどに追い詰められてもなお、SOSを出せなかったのだと思います。

何度も自殺未遂や自傷行為をしたことで、周りはようやく私に目を向けるようになりました。その中には、私の行動を否定的に見るものも多かった。特に両親から行動を否定され、彼らに理解されないとわかってしまった私は、その時から大人を心から信頼することを避けるようになりました。両親を頼ることをやめました。そうすれば自分ひとりだけが傷つくだけで、ほかは何ともないと気がついてしまったからです。

綻びた『いい子』の仮面

周回にとって理想の子どもであった、そうでなければならなかった私が完全に壊れたと自覚したのは、言わずもがなですが高校時代、特に高校1年生の時でした。

勉強面では、地元で有名な進学校に通うことになった私は、小中学校時代とは対照的に学年の最下層の成績でした。赤点常習犯で、高校3年の1年間赤点を取らなかったことが奇跡みたい。山のような課題がきちんとこなせるわけがなくて、基本が上手く身につけられない状態で、誰かを頼ることができない私はしょっちゅう職員室に呼び出されて怒られました。授業進度も速くて、私が問題を解いている間にほかのみんなはもう解き終わって解説が始まってしまう。質問しようにも、呼び出される度に先生に怒られている私にとって「先生」は恐怖の対象でした。むしろ赤点取った時の補習の方がじっくり理解できたくらいで、結果的に夏休みの宿題もほとんどできませんでした。それでも提出物には期限があって、それが守れないとまた怒られてしまう。そうして、それは私の不登校のきっかけのひとつになったのです。両親は当時、これが原因なら勉強を怠けた自己責任だろうと私のことを責めました。でも私が不登校になった理由はこれだけじゃないんです。

人間環境面の方は、先生については先程述べた通りですが、友人関係に関してもとても複雑でした。中学は小規模校のため、元々から知っている子がクラスにはひとりしかいませんでした。なおかつ、私は極度の人見知りで自分から話しかけることがとても苦手です。当然、クラスに馴染むことができません。また、当時のクラスは私から見て、とても冷淡な雰囲気のクラスでした。おふざけするような人も少ないし、授業中に笑い声なんてほとんどないような、そんなクラス。グループが固まってからはグループの仲間内だけで笑っているような感覚で、私は空気も同然でした。

部活はすごく楽しかった。むしろ部活だけが楽しみでした。けれど、同学年の部員は自分を含めて3人だけ。クラスで話すことができないどころか、クラスが違う方が自然なくらいでした(ひとりは3年間、もうひとりは2年間クラス一緒だったけど)。

家に帰れば、母と歳下の兄妹たちが待っていました。高校と家でのギャップは大きくて、家族の前でもちゃんといい子に見せようとして、その綻びにつまづいた。居場所をきちんと感じられない、という状態になってしまったのです。それで、学校に行きたくない、と思ったのです。

もちろん、中学高校ともに楽しかったことも沢山あります。だけど、楽しかった思い出と一緒に辛かった思い出も残っているのです。不登校を選んだことにも、無理やり通っていたことにも、後悔はありませんが。

ティーンズプレイスの『雪灯』

『雪灯』としての存在は、高校3年の時にティーンズプレイスのメンバーに応募したことが始まりでした。不登校である自分の気持ちを発信して、いろいろなやり取りをしたくて、何よりもちゃんとした居場所が欲しいと思ったのです。

かつての居場所であったティーンズプレイスは、今はもうありません。当時に書いたブログもなくなってしまいましたが、そこでだけ私はモヤモヤしてすっきりしない気持ちを吐き出すことができていたのだと思います。思っていることを発信できることや、何よりそれに共感してもらえることがとても嬉しかったのです。

やがて、昔から目指していた養護教諭(保健室の先生)を改めて進路として見定めた頃、相談に乗ってもらっていたココトモの相談員さんに誘われて、『ココトモの雪灯』としての活動がスタートします。今も在籍しているそこで、私はメール相談(現・チャット相談)を沢山たくさん受けました。不登校に悩む子や、死にたいと思いを打ち明けてくれる子、ひとりひとりに向けて必死に対応を続けてきました。上手くいったよ、雪灯さんに相談してよかった、そんな声をきく度にやっててよかったと思うのです。

同時期に先述のインタビューを受けて、その数ヵ月後に私は『candle』の前身となる『フリースクールRiz』のLINE相談員になりました。

LINE相談員になっても、私は必死でした。なるべくすべての子が相談できるように、早く対応してあげられるように。その分、早く安心の声がきけることが私はとても嬉しかったし、そこが私のもうひとつの居場所になったのです。

やがてRizがなくなり、『candle』となった時、名付けにも深く関わった組織でもっと活動しようと思ってちょっと無理を重ねてしまったのです。なまじ周囲の様子に敏感で引っ張られやすいために、「死にたい」という相談に共感するあまりそれに引っ張られて死にたいと思うようになったり、同時期に大学が忙しくなってきたり。そんな訳で、持病のパニック障害(現在診断名変更・適応障害)が悪化してしまい、ここを離れる決断をすることになりました。ココトモはゆっくり続けることにした訳ですが。

candle』を離れて

candle』を離れていた期間、いろいろなことがありました。その中でも1番大きかったのは、大学でいちばん最初に友達になってくれた親友の死でした。約半年前、ちょうどクリスマスを控えた日のことです。

その子は私にとって、間違いなくヒーローでした。私が困っていたり、苦しんでいたりすると1番に助けてくれる人。ときに突拍子もない行動を取るけれど、その行動力で人見知りでビビりな私のことも引っ張って突き進んでくれる、そんな子でした。

その子はまた、私にとって戦友でした。同じような立場で、同じような悩みを抱えて、同じように死にたい気持ちを抱えていた、私にとって唯一無二の人でした。

その死を知った時からずっと私の中で渦巻いているのは、たくさんの後悔です。

死にたいと言っていたあの子が前を向けた時に死んでしまった。私はもっと彼女と一緒に生きていたかったのに。

私が持病で遠方に出掛けられないことを知っている中でも水族館に行こうと誘ってくれた約束も叶えられていません。彼女が役者として出ていた演劇も観に行くことができません。彼女にLINEをしたって、もう返信は返ってきません。どこに行っても、あの子にはもう会えません。

いっその事、あの子の代わりに私を死なせて欲しかった。あわよくば、一緒に連れていってほしかった。何度もそう思いました。今でもたまにそんなことを考えてしまったり、懐かしい思い出を思い返しては泣きそうになってしまったりするのですが、それを思い留まらせてくれた存在があるのも確かでした。

そのいくつかあるうちのひとつが、ずっと続けてきた相談活動の相談者さんたちの存在です。

友人が亡くなってからしばらくの間、私は相談活動をセーブしました。具体的にいうと、受け持つ相談の数を減らして、当時お話ししていた相談者さんとのやり取りのペースを落としました。

それでもいいと、それでも私を必要としてもらえるということが、私には何よりも安心できたのです。相手を私が支えているのと同時に、私もまた相手に支えられているのだと感じました。

相談活動というものは、相談者と相談員の双方がいないと成り立ちません。だからこそ、感謝しながら活動していきたいなと今も思うのです。

ひとりの相談員として

candle』に戻ってきて、またたくさんの相談者さんとお話しする日常が私の中で戻りつつあります。また関われるということは純粋に嬉しいことではあるけれど、実は時折プレッシャーを感じている日もあったり、対応を思い返して落ち込んだりすることもあるので気忙しいことも多いのかな。それでも、私はここで皆さんと関われることがとても嬉しいと思うのです。

私は今年度に入ってから、持病の発作のせいで上手く大学にすら通えなくなりました。何もできないという状況から、誰かになにかしてあげられると思える状況になることはとても嬉しいし、同時にとてもありがたいと思います。

とても申し訳ない、と毎回思うのが、対応速度にどうしても差が生まれてしまうことです。まだ大学生である程度融通がきくとはいえ、バイトもあるし家の事情もあり、その上持病の発作を起こすこともあります。その分相手を待たせてしまうとわかっていて行動できないことが、私にはとても悔しいのです。時には数時間とか1日とか予告なしに返信できなくなってしまったり、担当が決まるまで時間をかけてしまったり。運営している立場としても気を配っているし、ほかの相談員さんも頑張っていることもそれぞれに事情があることわかっています。皆さんが瞬時の対応を求めていることも。

だけど、申し訳ないけれど、そうできない事情があることも知っておいてほしいなとたまに思ってしまうのも事実です。さあ対応しようとスマホの画面を開いて、相手がいないことに気がつく度に私は「また何もできなかった」と悔しい思いをするのです。頑張って話してくれたその勇気を無駄にしてしまう事がとても辛いのです。相談員の立場として一緒に考えることもとても大変だし、同じように辛い思いを感じながらの活動です。相変わらずその気持ちに引っ張られることもあるけれど、それでも私はここであなたのお話を聴きたいのです。時間がかかるかもしれないけれど、一緒に話してくれるのなら、ちょっと待ってみるという選択肢を作っておいてもらえるととても嬉しいです。

私がcandleの相談員として在り続けるのは、皆さんの居場所になりたいとともに、皆さんと話すことが私の生きる支えであるからです。

私が不登校になった理由は、正直なところよくわかりません。というのも、いろんな出来事があって、そのどれもに心当たりがありすぎて、私にもよくわからないというのが本音なのです。

ただ、いくつかその例をあげるとするのなら、それは居場所のなさと愛されたいという欲求が上手く満たされなかったこと、それとありのままの自分をきちんと受け入れてあげられなかったことだと思います。私はずっと、どこにも居場所を見つけられずにいました。また、『いい子』である自分に固執することで、いい子でない自分は愛されないから要らないのだと感じさせられる環境に身を置き、いい子でない自分はダメな子だと自分自身を排除しようとしていました。なんとか整合性を保っていたそれらがだんだん綻びていくことで、私の気持ちもキャパオーバーになってしまったり、どうにもならなくなってしまったりしたのだと思います。

それらの気持ちが総じて『死にたい』という気持ちになり、『不登校』という形になったのだとなんとなくそう思うのです。

だからこそ。居場所のないことに苦しむ皆さんの居場所となりたい、と私は思うのです。そしてあわよくば、『あなたはいい子で、どんなあなたでもとても素敵なんだよ』と話しに来てくれたすべての人に伝えたいのです。

あなたにとって『candle』で話すことが居場所であると同時に、相談員である私にとっては皆さんと話すことが居場所で、それが私にとって生きる意味のひとつです。これを読んでいる皆さんにとって、私はスーパーポジティブな人間に見えているかもしれません。ですが、実際はその逆で、私はスーパーマイナス思考なタイプの人間です。今でも死にたいと思うことがないわけではないし、生きることがしんどいなって思うこともあります。そんな私でも『相談員』としてちゃんと受け入れてくれるのが『candle』のもうひとつの側面であり、私が過去の経験で必要以上に落ち込まないでいられる理由でもあるのだと思うのです。だから、『相談員』として関わらせてもらえること、ここに来てくれたことに、いろいろな意味で本当に私は感謝しています。

 

 

ああ、またすっかり長くなってしまった・・・・・。多分これを書き終えるのに2時間くらいかかってると思います。それでも書きたいことを全部書けた気がしないけど。

正直なところ、これを読んでどんな反応が返ってくるのか想像できなくて本当はちょっと怖いのです。ここまで自分のことを話すことは今までほとんどありませんでしたから。だけど、いい意味で『相談員の中にこんな立場のやつもいるんだな〜』って感じで捉えてもらえたらいいなと思うし、これを読むことでLINE相談に来るハードルがちょっとでも下がっているのならいいなって思います。肯定的な感想のコメントが来たら泣いて喜ぶ気がする。

例によって夜中に完成させて次の日に投稿する方式なので、とりあえずちゃんと睡眠は取ろうかな。みんなもちゃんと体調は大切にしようね!!

それでは、またお目にかかりましょう(´˘`)

雪灯

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