不登校になってよかった7つのこと~不登校ブログ10~

不登校はマイナスイメージに捉えられやすいのですが、決して悪いことばかりではありません。
もちろん不登校になったせいでたくさん悩んだし居場所を失ったりしたけれど、それよりも多くのものを得ることができました。

不登校になってよかった7つのこと

「不登校になってよかった」というとちょっと不思議に感じるかもしれません。
けれど、当時あんなに苦しんだ私でも、今は「不登校になってよかった」と思っています。
不登校になったおかげで、たくさんのものを得ることができました。不登校にならなければ、できなかったことばかりです。
今現在不登校や学校に行きたくなくて苦しんでいる人に「それでもこんないいことに恵まれるかもしれないよ」って届けられるブログになれたら嬉しいです。

心の傷の痛みを知れた

心の傷の痛さを身をもって知ることができました。
あざができても湿布を貼れる。火傷をしても冷やせる。体の傷は、それに応じた手当てができます。
けれど、心の傷は、なかなか手当てができません。
直接目に見えるわけでもないから、知らない人からの何気ない言葉で傷つくことだってあります。自分で自分の傷を見ないふりすることだってできちゃいます。
心の傷をえぐられるつらさは、自分で見ないふりをして必死に耐える孤独さは、経験しないとわからないところだと思っています。(私自身、経験するまではそんなに苦しいだなんて思ってもいませんでした;)
だからこそ、心の傷の痛みを知れてよかったと思います。
自分の心に傷ができてから、
「もしかしたらこの人も心に傷を負っているのかもしれない」
「この言葉は相手を傷つけないだろうか。ちゃんと気持ちが届くだろうか」
などなど、相手の心に対してすごく気を遣うようになりました。
自分の心に対しても、気を遣うようになりました。
もしかしたら私の言葉で傷つけてしまった人がいるかもしれないけれど、「傷つけてしまうかもしれない」と気をつけるだけでちょっぴり変わることもあると思うんです。
誰しも、大なり小なり傷を持っているもの。
なめあうのではなく、気を遣って全てを避けるのでもなく、相手のことも自分のことも大切にしながら接していけたらと思います。
心の傷の痛みを教えてくれた全ての人に、その痛みの癒し方を教えてくれた全ての人に、少しずつでも感謝したいと思う今日この頃です。

学校と家だけが世界じゃないことを知れた

私が不登校になる前、「学校に行きたくない」「家族にも相談できない」と悩んでいたときは、学校と家が全てでした。
まだ中学生だったのでアルバイトもしていなかったし、習い事なども特にしていなかったので、友達と遊ぶとしても結局クラスメイトだから「学校の繋がり」であることは違いなくて、本当に学校と家の往復しかしてなかったんですよね。
けれど、不登校になって、インターネット上でさまざまなコミュニティを探したりボランティア活動をしているうちに、世界のひろさに気づきました。
当時の私にとって、世界はおろか日本、むしろ関東・東京さえ広大で、未知のものでした。
そんな環境で生きる自分のちっぽけさ、そしてこれから経験できることの無限大さに、幼いながらもわくわくした記憶があります。
それから、私の好きな言葉のひとつに、こんなものがあります。

「世界中の2割の人はあなたがどんな行動をとってもあなたの事を嫌いになる。6割の人は行動によって好き嫌いが分かれる。でも残りの2割の人はあなたがどんなヘマをしてもあなたの事を好いてくれる。世界はそういう比率でできてるらしい。」

有名な言葉なので知ってる方も多いかと思いますが、この言葉を始めて目にしたとき、なにかが心の中にストンと落ちた気がしました。
「これでいいんだ」って思えた気がしました。
世界には70億もの人が居て、その2割が私を愛してくれるなら、幸せなことじゃないかと。
2割でも、14億人もいるんですよ?
これまで出会った全ての人から愛してもらえなかったとしても、むしろこれから先、愛し愛される幸せな出会いばかりじゃないかと!!
そう思えるようになってから、以前よりも「素の自分」を出しやすくなりました。

自分にあった「居場所」を見つけることができた

世界の広さを知った私は、さまざまなコミュニティに参加しました。
全国各地の人と文通したり、海外の人とメールのやりとりをしたり、ボランティア活動をしたり・・・数え切れないほど多くの繋がりを持つ中で、たくさんの居場所を見つけることができました。
居場所は、ひとつじゃなくてもいいと思うんです。
学校と、家と、ティーンズプレイスと、ココトモと、他のボランティア団体と、アルバイトと、高校時代の友人グループと、それ以外の友人と・・・
たくさんの居場所・繋がりを持った上で、自分の気持ちやペースに合った場所を選んでいく。
そのくらいの関わり方が、私には一番心地よかったです。
以前は「学校に自分を合わせる」「家族の形に自分を合わせる」という感じで、どうにも「居場所」ではなかったんですよね。
居場所に合わせるんじゃなくて、自分に合わせる。
なかなか目が向きにくいところかもしれませんが、意外と重要で、(あくまで私個人的にですが)意外と簡単です。
ぜひ「自分に合う居場所」を探してみてください(*´`)

たくさんの出会いがあって、たくさんの人生に触れることができた

これは特に「ココトモ」に出会えてからですね。このサイトが生まれるきっかけにもなった場所です。
ココトモでは、主に相談活動をしていて、私が活動しはじめてから今までの2年弱の間、200件あまりの相談にこたえてきました。
うまくいった方もいたし、もちろんうまくいかなかった方もいて、自分の力不足・未熟さを痛感する日々だったけれど、よく考えたら「2年間で200人の相談をきく」ってすごくないですか?
1年で100人、1ヶ月に8人くらいの相談を受けてることになります。
それも、何年もの付き合いがある古い友人なわけでも、切磋琢磨しあってきた幼馴染でもなく、端的に言ってしまえば「まったく知らない人」。
性別は勿論、年齢、育ってきた環境、悩みの内容、どれをとってもさまざまで、同じものなんてひとつもありませんでした。
「親としての悩み」を聴くこともあれば「子供からする悩み」を聴くこともあって、「未練を吹っ切りたい」という想いも「復縁したい」という想いも見てきました。
私が力になれた相談がどれだけあるかわからないけれど、たくさんの人生を聴かせていただきました。
相談活動以外にも、ココトモのイベントやそれ以外の場所、たくさんの居場所を見つけた分だけたくさんの出会いがあり、その分の「人生」に触れてくることができました。
自分が歩める人生はひとつきりだけれど、誰かの人生に触れることで、その人が生きてきた中で得た知識や経験、想いなどを聴かせてもらうことはできるんですよね。
「親として」「家族として」「子供として」「先輩として」「後輩として」・・・人によって視点もさまざまで、
「子供として私はこう思っていたけれど、親はこう感じていたのかも・・・」「後輩のためにしてきたつもりだったけど、後輩はこうしてほしかったのかも・・・」と自分の人生も含めて振り返ることができるようになりました。
それでもわからないことだらけで、人生の難しさを日々痛感するけれど、「わからないこともある」ということがわかったのは、大きな財産になったと思います。

人の優しさ、あたたかさの有難みに気づいた

帰ってから、あったかいご飯が出てくること。
洗濯機の前にほっぽっておいたら、数日してから部屋に服が補充されること。
こうしてパソコンを使えていること。当たり前にスマートフォンを手にできていること。大学に通えていること。
それら全ては、親のおかげだと思っています。
両親を嫌い憎んだときもあったし、今も胸を張って「好き!」とは言えないけれど、不登校になってからしてきたさまざまな経験を通して、「やさしさ、あたたかさ」に気がつくことができました。
私が今、自信がないなりに自分の言葉を綴ることができているのは、「鷹れんさんの文章が好き」と言ってくれる人がいたらからです。
めっちゃくちゃ緊張しながらも、イベントの「司会」に挑戦できたのは、私にチャンスを与えてくれた人のおかげです。
ティーンズプレイスをつくることができたのだって、デザイン、構成、さまざまなところでたくさんの人がチカラを貸してくれたからです。
前は当たり前に感じていたことの「当たり前じゃなさ」「有難さ」を知ることができました。
人の言葉で傷ついて、一時は人を信じることが怖くなってしまったけれど。
当時の私が思っていたより人はあたたかいし、やさしいです。そしてそれは当たり前なことではなくて、その人なりに傷ついたり乗り越えたり泣いたり笑ったりしてきたからなんですよね。
私も、そんな人間に、少しずつでもなっていきたいな(*´`)

言葉の重みを体感できた

私がいじめられたとき、不登校になったとき、クラスメイト・担任の先生・両親・その他いろいろな人に言われた言葉は、いくつも私の胸に刻み込まれています。
今も胸を締め付け続けるものもあるし、心の支え・勇気になってくれるものもあります。
その全てが、私の生きる糧になってくれています。
傷ついたから成長できたし、癒してくれたから挫けないでいれました。
私はすごく言葉に注目してしまうタイプで、相手のなにげない一言に一喜一憂することがよくあります。
以前はそれがコンプレックスで、必要以上に傷つくくらいなら全部諦めてしまえたらいいのにと考えていました。
けれど、言葉の重みを知れたからこそ、自分が誰かに話すとき「本当にこの言葉でいいのか?」と一歩立ち止まれるようになりました。表現するときに、自分の気持ちにあった言葉を選べるようになりました。必要以上に相手を傷つけることも少なくなったと思います。
言葉は諸刃の剣です。使い方を一歩間違えれば大怪我になりかねません。
しかし、だからこそ言葉は人の勇気や希望になってくれるのだと思います。言葉によって泣くことができるのだと思います。
危ないからって大切な言葉をしまいこんで表面上の付き合いにしてしまうのではなくて、大切な言葉だからこそ、大切に扱って生きたいと考えています。

学校じゃ体験できないいろんなことをさせてもらえてる

学校以外の居場所をたくさん知ってから、いろんなことをさせてもらいました。
数学講座も開いたし、イベントのサポートや司会も務めさせてもらいました。ブログを書いているのだって、サイトを運営しているのだって、学校の中に閉じこもっていたら絶対できていなかったと思います。
たくさん手紙を書くようになりました。たくさんプレゼントをするようになりました。たくさんの手紙とプレゼントをもらえました。
システムの勉強だってちょっぴりかじらせてもらえたし、人の相談を聴くことだって学校でできることではなかったと思います。
その全てが私の人生の糧になってくれています。どれかひとつでも欠けていたら、私は今よりずっとずっと幼くて、未熟で、平々凡々な学生生活を歩んでいたかもしれません。
もちろん学校で経験できるものだって大切で、その視点から見れば、私は二度の転校と二度の不登校のおかげで小学校・中学校からの友人はいないし、成人式の話になったときに「ここに行くよ!」とハッキリ言うことができません。同窓会もこれから先しないだろうし、そういうことを考えるとちょっぴり寂しいです。
どっちの道が正しいってことも、どっちの道が間違いってこともないと思っています。
大切なのは、選んだ道の先で自分がどれだけ本気になれるか、じゃないのかな。
そう考えれば、私は今の道を選んでよかったです。
以前は、「こっちの道を選んでよかった」なんて思えませんでした。
このブログを読んでくれているあなたも、今は「こっちの道でよかった」って胸を張っていえないかもしれない。けれど、10年後、1年後、また同じことを考えてみたら「やっぱりこっちの道でよかったわ」と考えられるようになっているかもしれません。
少しでも多くの人が、胸を張って自分の人生に自信をもつことができたらいいな(*´`)
最後までお読みいただき有難うございました☆
鷹れん

不登校ブログシリーズ

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【実録!不登校中の一日のスケジュール~不登校ブログ3~】
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