- ※このインタビューはフリースクール「Riz」との共同制作記事になります
- 学校での居場所のなさなどで苦しんでいる中高生たちへ向けて、不登校経験者たちに当時~今に至るまでの話を伺う「元不登校生インタビュー」。
今回はRizの交流スタッフでもある「しょこち」さんに、お話を伺いました。
──本日はよろしくお願いします。まずは簡単に、自己紹介をお願いします。
よろしくお願いします。
しょこちこと、小川翔子です。
大学4年生の21歳です。
存在の否定。それだけは、受け入れられなかった。
——しょこちさんが不登校になったのは、いつ頃のことですか?
不登校になったのは、高校2年生の2学期からです。
1年生の頃からずっと悪口を言ってくる人たちはいたんですが、2年生の時にその中心になっている人が隣の席になってしまって。
席替えも1学期の時にはなかったので、毎日毎日、ずっと隣の席から自分への悪口が聞こえてくる状態でした。
そんな中、2学期になって文化祭の準備が始まり、クラスにいる時間も伸びていきました。
悪口を言ってきていた人も別のところで準備をしていたんですが、声量が大きくて、わたしの悪口を言っているのが聞こえてしまって。
だいたい言われるのはいつも容姿に関することだったので、「いつもみたいに言われてるんだな」と考えていたんですが……。
その時は、「あいつの存在、すごい不快なんだよね」という言葉が聞こえてきたんです。
その言葉だけは、耐えきれませんでした。
頑張れなくなるまで耐えた数か月。ずっと、独りぼっちだった。
——高校1年生の時から悪口は言われていたとのことですが、何かきっかけなどはあったのでしょうか。
当時通っていた高校はいわゆるギャル、ヤンキーと呼ばれる人が多い学校で、わたしは真面目だったわけではないけど、そういうタイプでもなかったので、あまり馴染めなかったんです。
おとなしい性格で見た目も派手ではなかったので、入学してから1~2か月もする頃には目を付けられていたと思います。
それぐらい経つとグループもできてくるので、何人かの人から悪口を言われるようになりました。
自分に対する悪口が頻繁に聞こえてくるのはつらかったけど、それでも1年生の時はクラスに何人か友達がいたので、友達と話すために学校に行っていた、という感じです。
1日も休まず、普通に登校していました。
——つらかったですよね……。友達とは、その後も関係性は続けられましたか?
2年生にあがってから、仲の良かった子たちがみんな他のクラスになってしまったんです。
知り合いが誰もいない教室に一人おくりこまれて……。
最初は新しく友達を作ろうとしたんですが、スポーツが得意な、活発そうな子たちが集まっていて、わたしは運動はそんなに得意ではなかったので、なかなかうまくいきませんでした。
実際周りからも、「この子とは友達になれない」みたいな雰囲気は感じていましたね。
クラスに友達がいたほうがいいとは思っていたんですけど、すぐに友達を作ろうとするのは諦めました。
お昼休みなどは、他のクラスに行って過ごしてましたね。
そうやって耐えながら、毎日通っていました。
それに加えて、1年生の時に悪口を言ってきていたグループの中心にいる子が同じクラスになってしまったのもつらかったです。
毎日隣の席から悪口が聞こえてくる状態で、正直もうギブアップ寸前でした。
——一人で耐えてきたんですね。「学校を休む」ことは考えたのでしょうか。
そもそもわたしの中に「行かない」という選択肢がなかったので、ひたすら耐えて乗り越えました。
小学校から高校まで1日も学校を休まずに過ごしてきたので、家族や周りも含めて「行く」ことが大前提だったんです。
だから、嫌なことがあっても、行くのが当たり前でした。
——そんな状況の中、「学校に行かない」という選択肢を選べたのはどうしてですか?
当時、学校までは1時間くらいの電車通学だったんですが、電車に乗って少しすると冷や汗や吐き気が止まらなくなってしまったんです。
でもわたしとしては、まさか気持ちの面で問題があるとは思っていなかったので、「今日は体調悪いのかな」という程度で、途中の駅の駅員室などで少し休ませてもらって学校に行く、という程度でした。
それでも、自分の存在を否定されるような言葉を受けて、ずっと耐えてきたのが、音を立てて何かが切れてしまったみたいに我慢できなくなってしまったんです。
その日の帰り、電車を待っている時に、線路に踏み出そうか、1時間くらいずっと考えていました。
でも結局は、両親のことや終わった後のことを考えて、「人のことを考えられるってことは、まだがんばれる力はあるのかな」と感じて、何もせずに帰宅しました。
次の日、いつも通りに朝5時30分に起きて、「今日は学校に行かない」と親に伝えました。
安心と、焦りと。「行かなければ」という想い
——伝えるのには勇気がいったと思います。当時、ご家族はどんな反応でしたか?
両親からすれば、これまで元気に学校に行っていたのが突然行かないと言い出したから、困惑したんじゃないでしょうか。
母は「何言ってるの」という感じて、行かせたい気持ちがあったと思います。
でも、父が「分かった。帰ってきてからまた話聞くから、今日は行かなくていい」と言ってくれて、無事休むことができました。
——お父様がわりと察してくれた感じだったんですね。
そうですね。
これまで、小中学校でもずっと容姿に関して悪口を言われていたので、「ついにか」という感じだったのかもしれません。
学校を休むにあたって、その理由を説明しなくてはいけなかったので、いきさつの話はしました。
でも、ひたすら耐えるという感じで、誰にも相談せずにいたので、学校や親を含め、周りの人は気付かなかったと思います。
休まずに学校に行ってたので、なおさら分かりにくかったのではないでしょうか。
その後も母はわりとポジティブな性格で、いじめられるような立場にいる人ではなかったので、「どうしえ学校に行かないの」と考えているのがひしひしと伝わってきました。
それが苦手で、あまり母とは話したくなかったです。
父はすごく力になってくれて、事実関係をまとめた資料を学校に出してくれたり、いじめてきた人たちを集めて話をしたりしてくれていました。
教育関係の仕事に就いているので、苦しみを理解しやすかったのかもしれません。
——ご家族以外の方に相談することはありましたか?
いじめられていた当時、付き合っていた人もいたんですが、相談はできなかったです。
いじめてくるグループの人と普通に仲が良かったのもありますが、なにより「この子いじめられているんだ」という目で見られたくなかったんです。
最後まで彼には直接は言わなかったので、学校に行かなくなって、学校が事実関係などを調べている中で話を聞いていた時、初めて知ったのだと思います。
何も知らなかった罪悪感からか、心配してくれてかは分かりませんが、彼がどんどん病んでしまって、最終的には鬱っぽくなってしまったんです。
傷つける意図はなかったのに、関係のない人までこんなふうに傷つけてしまって……、結局自分が悪いんじゃないかと苦しむこともありました。
——学校に行っていない間の過ごし方について、教えてください。
1年生の時からずっとファミレスでアルバイトをしていたので、それはそのまま続けていました。
午前中やそれ以外の時間は、映画のDVDを観たり、家で過ごすことが多かったです。
——初めて休んだ日は、少しは安心できたでしょうか。
これまで嫌なことがあっても行き続けてきたから、「今日は行かなくていいんだ」「今日は言われないで済むんだ」と安心できましたね。
でも、いじめていた主犯の人はは停学処分になってしまって、それ以外の人も部活も出れなかったりして。
相手のことが嫌いなわけではなかったし、部活は一生懸命取り組んでいるのも知っていたので、すごく罪悪感がありました。
わたしが悪いわけではないんですけどね。
行かない間にそういう話が広まっているのはなんとなく耳に入っていたので、「このままだとやばいなー」とも考えていました。
学校には戻ろうと思っていたので、気まずくなるのは嫌だったんですよね。
——不登校になってすぐ、学校復帰を考えていたんですね。
わたしの中では、不登校になる時ってあまり将来のこととか考えないイメージがあるんですけど、当時は「何日には学校に行こう」と決めていました。
文化祭の準備中はクラスで行動しなきゃいけない場面も多くて他のクラスに逃げられないので、その期間だけ不登校だったんです。
だから、学校に行ってないのは2週間程度でした。
——体調も崩してしまって、相当つらい状況だったと思いますが、それでも学校にすぐ戻ろう思ったのはなぜですか?
自分の思い描いていた未来が壊れるのが嫌だったんです。
両親からも「学校は辞めてもいいよ」とは言われていて、自分でも通信制の高校などを考えはしました。
でも当時、大学か専門学校には行きたくて、勉強は真面目にやってきたんです。
それが、辞めたり、行かなくなったりすると、テストは受けられないし、成績も下がってしまうし、これまでやってきたことを無くすのは違うと思ったんですよね。
これまで頑張ってきたのに、また高卒認定取って、みたいなことはしたくなかったんです。
もともと負うはずではなかった苦労を負わなくちゃいけないと思うと、学校復帰をしたほうがいいと考えました。
学校を辞めたら勉強に対するやる気も失う気がして、未来が遠くなっていきそうな、漠然とした不安があったんだと思います。
——しょこちさんの場合は、「未来」が頑張る活力になったんですね。他に学校復帰を急いだ理由などはありますか?
正直、学校に行けていないということを認識するのが嫌だった、というのもあります。
なんでみんなみたいに普通に学校に行って、誰かに疎まれることもなく生活できないんだろう……、というコンプレックスはずっと持っていました。
学校でつらい目に遭うことよりも、それまでの、休まずに行き続けてきた生活からズレることのほうがわたしは怖かったんです。
「行くしかない」という気持ちは常にありましたね。
——学校に復帰してからは、いかがでしたか?
いじめてきた人も停学期間が終わってまた顔を合わせるようになりましたが、表立って悪口を言われることはなくなりました。
無事卒業して大学に入学し、今に至ります。
頑張り続けてきた私へ。今、伝えたいこと
——そんな頑張り続けてきた過去の自分自身に、伝えたいことはありますか?
わたしは当時から「我慢に限界はない」「ここが限界だと思わないかぎり我慢はできる」と思っていて、今もそれは変わりません。
でも、精神的なダメージから電車で具合が悪くなることがあるように、人間って意外ともろいものなんですよね。
わたしは期間限定で戻ろうと決めたけど、その影響で休養も満足にできないまま、元気になりきれていない状態で学校に復帰することになりました。
根本が解決していなかったので、後々しわよせが来て……、高校を卒業してからだけど、何度も道を外れてしまいました。
自分で自分のことを肯定できなかったから、周りの人に肯定してもらうことがすべてになってしまったんです。
自分を認めてくれる、求めてくれると感じられる場所を居場所だと感じてしまっていました。
実は今でも、自分のことを肯定できていない、自分のことを好きになれないという悩みを抱えています。
それも、自分の存在が不快だと言われたところに起因しているのだと思います。
だから、もう少し自分の気持ちを大事にしてあげてもよかったかな、と思います。
自己肯定感が回復するのを待ってから、学校に復帰したかったですね。
——つらい中でもめげずに頑張ってきたんですね。本当にお疲れ様でした。
「自分を一番優先して良い」苦しんでいる中高生たちへのメッセージ
——最後に、これを読んでくれているであろう中高生たちへメッセージをお願いします。
わたしはずっと、「学校に行かなきゃいけない」「元気でいなきゃいけない」という使命感を持って生きてきました。
学校は、行けるのなら行くのがベストなのかな、と思います。
つらいこともあるけど、それも含めて1つの学びとして、学校で得られるものはきっとあります。
でも、一番は自分を優先してほしいです。
親とのしがらみとか、気にするものもあるかもしれないけれど……。
後で自分が挫けてしまうから、今感じている痛みと、その時その場で向き合うのが大事なのだと思います。
——あたたかいメッセージを有難うございます。本日は貴重なお話を聴かせていただいて、嬉しかったです。
[写真:吉中智哉]
- ◆小川翔子(しょこち)
- 東京都出身、大学・文学部4年生。
現在はフリースクール「Riz」の交流スタッフを務めながら、大学で哲学を学ぶ。愛読書は『パイドロス(プラトン著)』。
編集後記
今回のインタビューの中で最も印象的だったのは、“なにより「この子いじめられているんだ」という目で見られたくなかった”というしょこちさんの言葉です。
わたし自身、いじめを受けている時に同じことを考えていたし、不登校などで悩んでいる人たちからも、同様の言葉をよく聞きます。
「普通に見られたい」「そうじゃなきゃいけない」
それが頑張るエネルギーになるのは素晴らしいことですが、どうか無理だけはしないでほしいな、と思います。
そうやって自分の本当の気持ちにフタをしても、感情がなくなることはありません。
今悩んでいる人たちが、少しでもありのままの自分を出せる場所を見つけることを願います。
しょこちさんは、普段はRizの交流スタッフとしても活動しているので、気になる方はぜひ会って話してみてください。
きっと彼女の快活なキャラクターに驚くと思いますよ(*´`)
- 不登校生のための『無料LINE相談』24時間受付中!
-
candleでは、不登校の小中高生からの悩み相談を「LINE」で24時間いつでも受付しています。相談はすべて無料!不登校を経験したスタッフや、カウンセラーの資格を持つスタッフたちがあなたの相談にのらせていただきます(*´`)
無料LINE相談はこちら