そとづら。外面。ひとさまと接するときに出てくる部分ですね。
私は両親に子供の頃から「お前はそとづらがいいから」と言われてきました。
家の中では言葉遣いも乱雑で親の手伝いもろくにしなかった私ですが、物心のつく前から、初対面の人にも笑顔を見せ挨拶をしっかりとする子でした。
クレヨンしんちゃんのマネをして「おしりあ~いおしりあ~い」とやった私(当時5歳)に対して親が「外(他の人がいるところ)ではやらないほうがいいよ」と言ったところ、「当たり前でしょ。外ではやらないよ」と返事をしたそうです。
5歳のときから、理解していました(´□`)すごいのかそうじゃないのか、微妙な感覚です。
でも正直、「そとづらがいい」ってあんまり好きな言葉じゃないです。親の「お前はそとづらがいいから」という言葉には「家での態度は悪い」って意味が含まれていたのはその他の言動などからひしひしと感じていたし、「そとづらがいい」と言われるたびに「ちゃんとした子」といものを要求されていると受け取ってしまうときもあったからです。
でも、「そとづらがいい」って悪い意味ではないと思うんです。
「そとづらがいい」なんて、当たり前。
皆さんは、自分のそとづらがいいって思いますか? 私は、すごーく思います。私って、メッチャそとづらがいい。
そとづらがいいこと自体は当たり前じゃないんでしょうか。外での態度と中(家とか)での態度が完全一致って、ほとんどない気がします。
誰だって「限られた人にしか言えないこと」あるだろうし、距離によって接し方を変えるのはむしろ「生きていくための術」。それで「全然素の自分じゃなかったな・・・」なんて反省する必要もないし、むしろカッコつけていない「なかづら」で居れる環境があるなら、その居場所に対して感謝すればいいのだと思います。
頑張り続けるのは、正直しんどいです。
そんなの、当たり前ですよね。しんどいです。常にエンジンフル回転なんて、休憩する暇もありません。
そとづらの話に限らず、勉強にしろスポーツにしろダイエットにしろなんにしろ、「やり続ける」ってのは難しいです。頑張らなくていい場所、頑張らない時間があるこそ、点検や休憩をはさみながら進んでいくことができるのです。
「そとづらがいい」という言葉はどちらかというと批判的に使われることが多い気がします。ですがそとづらがいいということ自体はやめる必要なんてありません。そとづらがいいなんて大いに結構。むしろそとづらは評価されてるんだから万々歳ではないですか。
ただし!こんな「そとづらがいい」人は要注意
しかし、「そとづら」にも様々です。単に、外ではバリバリキャリアウーマンな女性が家ではジャージでオッサン臭を漂わせてることに対して「そとづらがいい」と思うのなら、やめる必要はないと思います。リラ~ックスして休むことができるからこそ、お仕事も頑張れるのでしょうし。
けれど「外では優しいのに中では暴力をふるう」「外では仲のいい家族と思わせながら家の中では決壊状態」みたいなのはいただけません。いわゆる「DV」「虐待」というやつですか。
そういった場合には「中(家)では素でいることが大切なんだから・・・」みたいに考えることはせず、改善策を考えていかなくてはいけません。そこについては詳しくないので割愛いたしますが、程度によっては、公的機関や適切な場所・機関に相談したり対処してもらうことだって必要かもしれません。
そこには注意しつつ、けれど「そとづらがいい」のを悲観しすぎることもなく、いい塩梅で生きていきたいですね。
ではでは。鷹れん
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