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愛情が恐ろしい。愛を感じれなかった子供の苦悩

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今日は、先日書いたブログ「親に感謝できない。子供の苦しみ」の中の「悩み事」について書こうかと思います。

人から愛されることを恐れてしまう

私の大きな悩みです。
すこし前に、母親に頭を撫でられることがありました。
理由はわかりませんが、もしかしたらティーンズプレイスを見たのかもしれません(それくらい最近のことです)。
そのとき私の中に生まれたのは
どうしたらいいのかわからないという困惑と、あれほど傷つけられてきた相手からの愛情に対する嫌悪感。
そのふたつの感情だけでした。
「頭を撫でる」という愛情表現に対して、自分が嫌悪感を抱くとは思いませんでした。
それ以外にも、誰かから愛情表現をされたり大切にされると、嬉しいはずなのに、何故か心の奥底で拒否してしまっていました。

なぜ愛情が恐ろしいのか?

今でも悩んでいることなので、理解しきれてはいないのですが、「愛情を恐れる理由」を考えてみました。
主には、子供の頃の「愛されなかった」という私の中の事実から、愛情をくれる人を信じることができないのだと思います。一種のトラウマのようなものですね。
そして、もともと愛情を実感してこなかったわけですから「愛情の受け取り方」がわからなかったんです。
愛情に不慣れすぎる、とでも言えばいいのでしょうか。
「愛情を受け取ったら、その分恩返ししなければいけないのではないか」「愛情を受け取れるほど立派な生き方をできているのだろうか」などなど、余計なことを考えてしまうんですね。
そんな不器用な人間である私は、やがて「愛情がこわい」と感じるようになってしまったのです。
愛情を上手に受け取ることができなくて、高校生の頃とかは「せっかく善意でやってあげたのに」などと言ってくる人も居て、その度に「愛情を上手に受け取れない自分」を否定してしまっていたんです。

愛情を受け取ることは、簡単なことじゃない

私にとって「愛情を受け取ること」は、誰かが与えてくれるものをじーっと待っていればいいってもんじゃありませんでした。そんな簡単なものではなくて、「愛情を受け取る能力」みたいなものが必要に感じていたんです。
今でもそれは、変わっていません。
ぼーっと口を開けていれば自動的に入ってくるものでもないだろうし、愛情を受け取るというのはとても難しいものだと思っています。

「愛情を受け取る能力」とは「愛情を信じる力」

愛情を受け取るには、相手を信じなくてはなりません。
「この人は私を愛してくれている」と思えなければなりません。
普段、皆さんはそれほど意識していないかもしれませんが、その手順をきちんと踏んでいるはずなんです。
相手を信じて、相手からの愛情を受け取って、人によっては恩返しをしたり感謝をしたりしんがら、愛情のやりとりをおこなっているわけですね。
私は不登校・いじめ諸々の経験から「相手を信じる」というステップに踏み出すことにたいして、ひどく臆病になってしまいました。
信じて裏切られたら? 相手が迷惑だと感じたら? 自分の「弱さ」がばれて幻滅されたら?
いろんな不安によって心がいっぱいになってしまい、他の人からのやさしさやあたたかさが入る隙間がなくなってしまったんですね。
疑い続けて信じなければ、裏切られることはない。なにも持たなければ、奪われることもない。
そんな風に考えて、まわりからの干渉をすべて拒否しました。
しかし、それでも愛情をくれようとする人はいて。
表面的な付き合いしかしなかった部活の友達も、転校先の先生も、みんなやさしくて、あたたかくて。
それでも、全部拒否し続けて。心の中で泣きながら表面では笑っていました。
けれどやがて、ひとつの想いが私の中に芽生えました。

愛情を受け取れる人になりたい

誰かが私に愛情をくれようとするとき、その人はどんな想いで行動してくれているのでしょうか。
私の頑張りや、努力、苦労、なにを見てかはわからないけれど、なにかを見て、なにかを感じて、「応援したい」「励ましたい」「やさしくしたい」「共感したい」など、なにかしらのあたたかい気持ちを持ってくれて、
拒否されるかもしれないのに、受け取ってもらえないかもしれないのに、愛情をくれているんではないかな。
そこには、大きな愛情の他に、大きな勇気も隠れているんですよね。
これまで私が拒否してきた愛情には、どれほどの勇気がこもっていたのだろう。
たくさんの愛情に触れてきて、そう感じるようになりました。
それから、不器用な私なりにではあるけれど、きちんと愛情を受け取れるように、まずは愛情そのものだけを見るのではなく、そのまわりの様々なものに目を向けるようにしました。
「受け取る」というのは、ただの一方通行の行為ではありません。
受け取ることで、また、相手になにかを与えていると思うんです。
私が愛情を受け取ることで、相手にやりがいや安心を与えられているのかもしれない。そう考えるようになってから、「愛情を受け取る」ということに対する恐怖や苦手意識といったものがだいーぶ薄れていきました。
愛情を受け取ることが一方通行のものだと感じていたから、「その資格はあるのか」なんて考えてしまっていたんですね。
けれど、愛情を受け取ることと与えることはお互いさま。もともと資格もなにもなかったんです。
愛情を受け取ってはいけない人なんていなくて、むしろ愛情を受け取ることで相手にも同じくらいのなにかを与えられている。
そう考えたら、「愛情を受け取る」こともそう悪くないな、なんて感じられるようになりませんか?

その後、私には新しい夢ができました。

愛情を受け取ることにたいしての苦手意識を手放せてからすぐに愛情を受け取れるようになったのかというと、そういうわけではありません。
「愛情を受け取る」というのはとても難しいことで、私にとってそれは無理難題でした。
けれど、そんな間にも愛情を与え続けてくれる人はいたのです。
大きな愛情も小さな愛情もあったけれど、それがあったからこそ私は今、無事皆さんからの愛情を受け取れるようになりました。
「応援してるよ!」「鷹れんちゃんいつもありがとうね」「これからも頑張って~」などの言葉を素直に受け取れるようになりました。
本当に、感謝しています。
そして今、私にはひとつの夢があります。

「愛情を与えられる人になりたい」

例え相手に受け取るための余裕がなかったとしても、あの頃の私を支えてくれた人たちのように与え続けられる人でありたい。
そう思っています。
「あの頃の私を支えてくれた人たち」についてのエピソードはまた後日・・・。
今もまだ愛情に受け取ることにたいしてほんのちょっぴり臆病で、まだまだ上手に受け取ることはできないけれど「受け取ることと与えることはお互いさま」の言葉を胸に、これからも私なりに頑張っていきたいです。
これからも、あたたかく応援していただけると嬉しいです(*´`)
ではでは、このへんで。また明日お会いしましょう☆
鷹れん

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