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“反抗期”と言わないでほしい

反抗期
この言葉に、どんなイメージを持っていますか?
私は反抗期という言葉が大嫌いです。
心の中にさまざまな葛藤がある複雑な状況を「反抗期」なんて簡単な言葉でまとめてほしくありませんでした。

そもそも「反抗期」ってなんだ?

私は反抗期を「親の価値観と自分の価値観の離別」だと考えています。
自分の人生と親の人生を別物だと認識すること。親の価値観がすべてではないと知ること。自分のことは自分でやろうとすること。
自分の価値観を確立させる時期、というのかな。
実は「反抗期」は二回あります。一回目は二歳くらいの、いわゆる「イヤイヤ期」。二回目が俗に言う「反抗期」で、何歳くらいにあるかは人によってさまざまです。だいたい小学生~高校生くらいですね。
対象はほとんどが母親。次に父親、教師、祖父母、その他親族やまわりの大人に向けてなる人もいます。
このときに親から過度に干渉されたり、反抗期を否定されたりすると、まぁなんやかんや問題が起こってしまうわけですね。

私が“反抗期”という言葉を嫌う理由

一番最初に書いたとおり私は反抗期が大嫌いです。正確には、反抗期という言葉が大嫌いです。
なぜなら、「反抗期」というのは親目線、大人目線の言葉だから。
だって本人(子ども)からしたら、それは単なる成長の過程でしかありません。自立するために、「自分のことは自分でやりたい」「必要以上に関与してほしくない」などを表現しているだけのことです。
それなのに大人たちは、自分の思い通りにならなくなった子どもたちのことを「反抗期」だという。
反抗的な態度を非難する。
必要以上に関与してくることを、自分でできることさえもまわりがやろうとしてくることを、拒否しようとしているだけなのに。拒否、なんて言葉も適切ではないかもしれません。
ただ「自分のことは自分でやるから」と意思表示をしているだけなのです。
もちろん人によって、女の子の場合父親や親戚の男性を避けるようになったり、“反抗期”のでぐあいは違います。
ただ、自分の嫌なものは嫌だということ。自分の人生は自分で選んでいくんだということを自覚して、それを模索しながらやっているだけなのに。
なんで「反抗期」なんて簡単な言葉で片付けるの?

反抗期は信頼関係があってこそ

ここまで反抗期について書きましたが、私はなにも、反抗期自体を否定しているわけではありません。
「反抗期」という言葉にカテゴライズされることが嫌なだけです。
反抗期には、一定以上の信頼関係が必要だと思っています。
少しくらい生意気な態度をとっても捨てられないという信頼。
突然家族がいなくなるなんてことはないという信頼。
愛してもらっているという信頼。
愛し続けてもらえるという信頼。
日頃は気づくことがないくらい当たり前な信頼が、反抗期には必要不可欠です。
だって、反抗したら捨てられるかもしれないような状況で反抗できる人なんていないでしょう。
私には、反抗期らしい反抗期はありません。親を信頼できなかったから。私にとっての家族は一般的に言う家族のような存在ではなかったから。
「反抗期」というのは一種の幸せのかたちなのかもしれません。

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