今日は、「家」というもにについて考えてみようと思います。
私は家の中で、常に「生きづらさ」みたいなものを抱えて生きてきました。
私の家に対する考え方を書く前に、私と家族のこれまでについて書いていきます。
母、父、兄、私。
私は4人+1匹家族です。お母さん、お父さん、お兄さん、それから愛犬アップル。
お母さんは、簡単に言えばヒステリック。イライラが募ると愚痴っぽくなったり突然大きな声を出したりします。
お父さんは、おそらく子供は自分の思い通りでいてほしいと思っていて、自分の機嫌でいろいろ変わるのにドストレートの「実力主義」「仕事人間」タイプです。週8仕事してんじゃねーかって感じ?
お兄さんは、もう私と性別入れ替えたほうが幸せだったんじゃないかってくらいの人です。そのせいか私の前ではすごく威張ってきて、くだらないイタズラをしかけてきたりこっちをイラつかせる言動をしてきたり、とりあえず私は彼のことが大嫌いです。
3人合わせて言えることは、私が彼らのことを大嫌いということ。そしておそらく彼らも私のことが大嫌い。
簡単だけれど、そんな感じです。他にもいろいろありますが、それはまぁ今回は割愛ということで・・・。
「家」とはなにか
そんなこんなで私はずっと「家族」が嫌いでした。家の中では常に「イイ子」でいたし、家族の前で泣くことさえできなくて、「家」も大嫌いでした。
なるべく家にいたくなくて、家にいるときは息苦しくて仕方ありませんでした。
けれど、家族全員がずっとそうだったわけではないんです。(兄とは結構物心ついた頃からいがみ合っていたけれど)父母と仲違いしたのは、中学一年生のときでした。
私が、不登校になったのです。母はそれまで以上にヒステリックになり、口を開けば家族の悪口、言葉で伝えれば伝わるものをわざわざ行動に起こしたりします。ごはんを出してこなかったりなにか大きな音をたてたり・・・。
父はそれまで以上に怒りやすくなりました。「嘘吐き」「あんな高校」言われたことは数知れません。その度に私の心はどんどんどんんどん鎧を着込むようになりました。
「家」ってなんだろう
私は家が大嫌いです。
けれど最近、「ココトモハウス」でお喋りしているときに感じることがあります。
家族の関係は冷え切っていたし、親からの愛情なんてとうの昔に諦めていた私。
映画やドラマを観て涙ぐんだとき、父親が近づいてきた瞬間涙を抑えたことがありました。
もう「そういう境ができてしまったんだなぁ」と。でも苦しかったわけではなんで、なんだか解放された気分でした。寂しかったけれどね。笑
イヤガラセをしてくる兄と、ヒステリックな母と、威圧的(なんて言葉じゃ言い表せないほど威圧的)な父と…そんな3人に囲まれて育った私にとって「家」というのはとても冷め切ったものだったんです。
けれどココトモハウスが出来てから、少し変わってきました。
ちょっと恥ずかしいけれど、私にとってココトモハウスは「第2の家」のような感覚です。
いつ来ていつ帰ってもよくて、お茶を片手にお話して、ゲーム好きが集まればゲームして、時にはUNOやトランプを罰ゲーム付きでして。お喋りをしてもよし、一人でしっとり考え事をしてもよし、パソコンを持ち込んで作業してもよし。
とにかく自由で、けれど人との繋がりが欲しいときにはきちんと繋がれる人たちが居て。
その自由さとあたたかさのバランスが、なんとも心地よいのです♡
ひとつめの家は色々うまくいかなかったけれど、うまくいかなかったからこそふたつめの家に出会えたのかな、なんて考えています。
「家」はひとつじゃなくていいし、気分で使い分けてもいいのかなって。
家って家族がいる場所ってわけじゃなくて、「帰ったときにほっと一息つける場所」なのかなって思っています。私は家族がいるからって特別な場所とは思えなかったから^^;
だからもし家族との関係が上手くいっていない場合でも、いつかどこかで、自分なりの「家」を見つけられるのではないかなぁ。
鷹れん
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