ティーンズプレイスの親サイト「ココトモ」のほうで、メンバーの「オハナ」さんが書いていたブログ「助けて、その言葉を発する大切さ。」を読んで、思い出したことがあったのでブログにします。
助けてと言えなかった過去
コメント欄にも書きましたが、私には、誰にも「助けて」言えない時期がありました。高校二年生のときだったと思います。
届いてほしい。けれど、届いてほしくない。助けてほしい。でも、助けてほしくない。逃げ出したい。ここに居たい。前に進みたい。頑張りたくない。続けたい。やめたい。
死にたい。生きたい。
相反する感情がいくつも混在していて、私の心の中は常にどろどろと渦巻いていました。いろんな欲求や感情がぐるぐるぐるぐる繰り返し寄せてはひいて、苦しいけれどそれをどうすることもできずただただ「助けて」と心の中で叫ぶことしかできませんでした。泣くことしかできませんでした。
「助けて」って誰にも言えなくて、でももう「助けて」っていう言葉しか出てきませんでした。布団の中で、誰にも届かないように声を殺して「助けて」と呟いていました。涙はもう、でてきませんでした。
つらかった。「つらい」と言えないことがつらかった。「つらい」と想わないことがつらかった。
「助けて」その言葉に込められた気持ちとは
「助けて」
言葉はたった四音だけれど、そこには言葉ではあらわしきれないほどの想いが凝縮されている気がします。
少なくとも私はそうでした。
現状から抜け出したかった。けれど動くのも怖かった。誰か受け止めて。泣きたいのに泣けないの。自分がどう感じているのか、どうしたいのかなんてもう分からない。生きるのがこわい。死ぬのもこわい。誰か、助けて・・・。
心の中の全部を、「助けて」という言葉に込めていました。
どうして助けてって言えなかったんだろう
当時は「なんで言えないのか」なんてこと考える余裕はなかったけれど、今になってふと、考えることがあります。
思えば私は、本当の意味で孤独なときはありませんでした。もちろん心には孤独を抱えてきたと思っていますし、常に「生きづらさ」みたいなものは抱えてきました。けれど、いじめに遭ったときだって「相談してくれよ」みたいに声をかけてくれる人はいたし、家での居心地の悪さはあっても部活など楽しく過ごせる時間はありました。
そういった意味では、幸せだったのかもしれません。
だからこそ、言えなかったのかもしれません。
常に「私みたいな分際で」という葛藤はありました。不登校になるときも、自殺をはかったときも(当たり前ですが未遂に終わりました)・・・「助けて」と叫ぼうとしたときも。
助けてほしい人が「助けて」と言えるようになるために
少しずつではありますが、今では「助けて」を言えるようになってきました。大変なときには大変、つらいときにはつらい、辞めたいときには辞めたい。そうやって素直に自分の気持ちを発信することの大切さにも気がつきました。
⇒詳しくはブログ【つらいときに「つらい」と言うことは必要なこと。】をどうぞ
世の中には私よりよっぽどひどいいじめを受けている子だっている。日々の食事を満足にとれない子もいる。そもそも「親」というものを知らずに生きている子だっているかもしれない。
それに比べれば、私は到底「助けて」なんて言える立場ではないんだ。きっと。
そんな風に考えていました。
どこかの貧困問題と私の心の問題は同じじゃない。
しかし、世界の貧困問題と私の心の問題はまったくの別物だし、私が生きづらさや葛藤をちいさな体と未発達な心のまま抱えていたのは本当です。不幸と比べて「私は助けを求められる立場じゃない」と無理に体を奮い立たせる必要も、幸福と比べて「どうせ私なんて幸せになれない」と自分を卑下する必要もないんですよね。
今度は「信頼している人たちに対してかっこつけたい」なんてこれまた幼い理由から助けを求めることに対して若干の苦手意識をもっている私ですが、「他人と比べたってしょうがない。自分がつらいならつらいし、幸せなら幸せ」と思えるようになってからは、だいぶ助けを求めやすくなりました。「助けて」なんて直接的な言葉じゃなくても、例えば仕事や作業の一部を頼んだりとか、ちょっとお手伝いをしてもらったりとか。そういう小さな「助けて」から、練習しています。
最後に―まわりの方へお願いしたいこと
世の中には、必死で助けてと叫んでいる人がいます。必死で自分の声を押し殺そうとしている人がいます。
その全てを、「助けて」という言葉を全て助けるなんてことはできないかもしれないけれど、「頑張れ」「親に育ててもらえてるんだから甘えるんじゃない」そんなふうに思ったときには、ぐっと飲み込んでいただけたら幸いです。
たとえそれが愛ゆえの厳しさであろうとも、優しさであろうとも、心がすさんで弱ってくると、敵意としてしか受け取れないときがあるんです。
できることなら、手を伸ばして届くくらいの範囲で「助けて」という言葉をきいたら、自分に余裕があるときには、そっと言葉をきいてくれると嬉しいです。
ひとりがひとりにちょっとずつ手を差し伸べたら、いつかは全ての人に、手が差し伸べられるのかもしれません。
鷹れん
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