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人を信用できないってダメなのかな?

人を信用できないんです。
そんな相談を受けることがあります。
恋愛でも、ありますよね。「彼氏・彼女が信用できない」って、浮気を勘ぐったりスマホ見ちゃったり。
けれど「人を信用できない」ってダメなことなんでしょうか。今日は、そんなことを考えてみます。

「人を信用できない」

率直に言ってしまえば、私は「人を信用できなければいけない」とは思いません。もちろん信じれれば安心して頼れたり涙を見せれたりするかもしれませんが、信用できないのは人としてどうこうとかは一切思わないです。
人を信用しなきゃいけないからと信頼できる人をムリヤリ探す必要なんてないと思います。「信用できる/できない」のふたつに分類する必要だって、ないんじゃないのかな。
信用できる人がいない状況は苦しいです。実際に苦しかったです。でも信用できなくても生きてはいけるし、信用できる人が見つかれば必ず苦しみから解放されるというわけではありません。
そもそも、信用するってなんなんでしょうか。相手は裏切らないって信じること? それって、すごく曖昧ではないですか。もしかしたら「期待」なんて言葉のほうが合う感情かもしれません。
帰りが遅い⇒浮気してるかも。最近メールがそっけない⇒他に好きな人ができたかも。記念日を忘れてた⇒もう好きじゃないのかも。・・・疑う心なんて、誰だって持っています。相手の言動から不安になってしまうこともあるでしょう。信じることが怖くなってしまうことだってあるでしょう。
しかしそれは、恥じることではありません。
そもそも「信じること」自体は、私はあまり重要視していません。あくまで「私の場合」ですけれど。
ではなにを重視しているかというと「信頼に値する人間でありたいと思えるかどうか」です。

信頼に値する人間でありたい

信頼に値する人間。言葉のとおりですが、ようするに相手が「鷹れんは信じれる」と思える状況であってほしい、ということです。
信頼に値する人間ということは、自分が自分を信じれるということではないでしょうか。人を信じるには、まず自分を信じる必要があると思っています。だからこそ、常に「自分を信じれるかどうか」という考えを持っているのです。
たとえ誰かから裏切られても。誰かの言葉に傷つけられても。それは別に「信じた自分が間違いだった」なんてことはなくて。むしろ「信頼に値する人間でありつづけた自分、すごい」みたいに誇っていいと思うんです。
まだまだ「信頼に値する人間」を100パーセント理解したわけではないけれど、これからも、たまには小休憩を挟みながら、理想の自分であれるようがんばっていきたいです。
鷹れん

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