父と母は、いつも私に罰ばかりを与えてきました。
私が小学生のとき、「部屋の片付けをしないから」という理由で当時大切にしていたぬいぐるみを勝手に捨てられたことがあります。
勉強しないでいたときに買ってもらったばかりのゲーム機をゴミ箱に捨てられ、驚きや恐怖がないまぜになった感情に支配されて動けないでいると、「(兄に対して)こいつ拾わないみたいだからこのゲーム機使っていいよ」という親の声をきいたこともあります。
「ケータイを忘れてないか」と散々きかれたにも関わらずケータイを忘れてしまった私に対して、父親は「お前のことなんか少しも信用していない」と言いました。
複数人(私と、父と、父の友人やその子供数人)とテニスの約束をしていたにも関わらず、当日になって受験勉強を理由に参加を断ると、メールで「あなたへの信頼はゼロになりました。」と送られてきました。
不登校のとき、放課後先生に会いに行く予定があったにも関わらず体調不良になってしまいドタキャンすると、その夜中、部屋の前で父は「嘘つき」と吐き捨てました。
10歳の私は、親のために自分を殺すことを選んだ。
母はヒステリックに。父は威圧的に。私がなぜそんなことをしたのか・できなかったのか、その時の私はどんな気持ちだったのか、その一方的な(親にとっては「愛情」である)「罰」をちいさな女の子はどう受け止めるのか…そんなことは一切気にしてない様子でした。
捨てられたゲーム機を、ゴミ袋にぎゅうぎゅうに詰められたぬいぐるみを、助けたかった。取り戻したかった。
しかし、当時10歳だった私は「自分の欲求」よりも「親のご機嫌」を優先しようとしました。
親が捨てたということは、捨てることが正解で、自分がどう思ってもそれは手放さなければいけない。そもそも言いつけを守らなかった自分が悪いのだから、親の選択に逆らってはいけない。
必死に「どうしたら親に怒られないか」「どうしたら親に愛してもらえるか」と考え、自分の欲求を満たさないことを決めたのです。
今考えると、どちらにせよ親は怒ったのだと思います。
ぬいぐるみをゴミ袋から助け出していたら、親はきっと「親の言いつけを破った」と私を詰っていたでしょう。
両親にとって私は、「ストレスの捌け口」くらいの存在だと思います。だからストレスの捌け口に反抗されると途端に不機嫌になり、捌け口が何を言おうが「こうするべきだ、お前が悪い」から意見が変わらない。
私は両親から「ごめんなさい」という言葉を聞いた記憶がないし、「ありがとう」と聞いた記憶もほとんどない。そういう家庭でした。
両親は、自分にとって都合のいいお人形さんがほしかったのだと思います。
言うことをきいて、反論せずに、いい子で、ミスをしなくて、頭が良くて、「普通」に学校を卒業して、「普通」に会社に入って…そんな「普通」の優等生が欲しかったんでしょう。
私は、ソレを目指しました。間違いを犯さず、両親の言葉の真意を読み取り、常に二人に気を遣って生きていました。
でも、できませんでした。
私は、私の母ではないから。私の父ではないから。二人の言葉から二人の欲求を推測することしかできないから。
どれだけ我慢しようと思っても、やはり限界はあって。
学校を休みたいと伝えると怒られました。
学校を無断で休むと怒られました。
無理して学校に行っても、待っているのは賞賛ではなく「無関心」でした。
私の父は、いわゆる「仕事人間」です。家でも、仕事の電話をしたりパソコンを開いていたり。リビングで書類を開くこともあります。その度に私はテレビの音量を下げ、父の好むチャンネルに変え、物音を立てないように気を遣っていました。しかしそれにも限界はあって、どうしてもテーブルに足をぶつけてしまうことなどがありました。
私がミスをすると、父はたちまち不機嫌になりました。
そのことを母に相談すると、つよく共感してくれました。私は、やっと自分を見てもらえると思いました。むこうの部屋でテレビ観ようかとか、イヤホンつかってパソコンでアニメ観ようかとか、なにかしらの「私を気遣った行動」を私は求めていたんです。しかし母は、父親に対する愚痴を私に言うようになりました。
晩御飯を用意したのに食べないことや、リビングで仕事をすること、トイレの電気を消さないこと、うがいのとき嗚咽のような音を出すこと・・・さまざまな日常のストレスを、私に喋るようになったのです。
私は、それを拒否することはできませんでした。拒否をすると、母が不機嫌になってしまうから。
私は父と母両方のご機嫌を伺いながら、いつも気を張って過ごしていました。家は休む場所ではなかったし、「家族の感動ストーリー」みたいなものを見ても、それはどこか遠くの世界のおとぎ話を見ているような感覚でした。
私が両親を心から信頼したことはありませんでした。なにか悩みができて両親の顔が浮かぶなんてことはもちろんなかったし、そもそも「人に頼る」という言葉に対してあまりいいイメージは持っていなかったです。今はだいぶマシになったけれど、中学生までは人に頼って「よかった」と思ったためしは一度もありませんでした。
何故私が両親に対して不信感しか持って居なかったかというと、あることに怯えていたからです。
捨てられることを、恐れていた。
「捨てられる」
常に怯えていました。
「お前なんかいらない」なんて言葉をかけられることもあったし、「捨てられるかもしれない」というのはとても身近な感情でした。
私には反抗期がありません。反抗期というのは、親への信頼があるからできることです。「捨てられるかもしれない」という感情を抱えながら親に対して反抗するなんて、無理な話ですよね。捨てられるかもしれないんだから。
これくらい反抗しても捨てられない。そういう信頼が根本にあるからこそ、「反抗期」という成長過程を過ごすことができるのだと思います。
それを悲観したこともあったけど、今は単なる事実として受け止めています。
子供の仕事は親のご機嫌伺いではありません。親を軸に生きる必要もありません。
私は18歳になってはじめてそれを理解したけれど、今気づけてよかったです。
まだ「人生で一番大切にしていることは?」なんて聞かれても答えられないけれど、そんな「人生の軸」になるものを、これからの人生で探していければいいなぁ、なんて思ってます。
私の仕事は、私を幸せにすることですから。多分ね。
ではでは今日はこのへんで。お読みいただき有難うございました☆
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