- ※このインタビューはフリースクール「Riz」との共同制作記事になります
- 学校での居場所のなさなどで苦しんでいる中高生たちへ向けて、不登校経験者たちに当時~今に至るまでの話を伺う「元不登校生インタビュー」。
今回はRizの交流スタッフでもある「しんちゃん」に、お話を伺いました。
──本日はよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いします。
「しんちゃん」こと、大野真之介です。
岐阜県出身の20歳で、大学3年生になりました。
──大学は楽しいですか?
ぼちぼちですね。
今は大学というよりも、サークルや、Rizを含めた課外活動を楽しんでいます。
──いいですね。今回は、しんちゃんの不登校になった経緯などについて伺いたいのですが、大丈夫ですか?
はい、大丈夫です。
自己開示していきます(笑)
不登校になったきっかけは、担任の先生
──まずは、不登校になったきっかけを教えていただけますか?
不登校になったのは、高校2年生の1学期頃です。
もともと高校に入学した時から「嫌だな」と感じる雰囲気はあったのですが、1年生の時は担任の先生がいい人で、普通に通えていました。
2年になって担任が変わってから、学校に行きたくないと感じるようになっていったんです。
──2年生当時の担任の先生は、どういったところが苦手だったのでしょうか。
僕はわりとルーズな性格で、先生の細かいところまで注意してくるところが苦手でした。
例えば、掃除の時間は当時15分程度だったのですが、隅々まできれいにすることを求められるんです。
黒板も新品同様にせねばならず、間に合わないと叱られ、時間をかけてきれいにしても「時間内にきれいにするのが大事なのに何してんだ」と注意されました。
忘れ物なんてした時には、長々と説教されて。
いわゆるネチネチタイプで、それまでそういう人に接してこなかったので、怖くてしょうがなかったです。
毎日学校に行きたくないと感じていました。
学校に行かなくなったのは、ある日限界が来た、という感じです。
しばらくは頑張って学校に行っていたんですが、鬱っぽくなって、親に病院に連れて行ってもらいました。
──病院に行ってみて、どうでしたか?
カウンセリングを2回ほど受けたのですが、すぐ行かなくなりました。
話してても悩みが解決するわけではないので、意味がないように感じて……。
多少すっきりする部分はあったんだろうけど、当時は親がわりと話を聞いてくれていたので、親に話すのとほとんど変わらなかったです。
病院に行っても効果がなくて、余計に学校に行く気持ちがなくなってしまったんですよね。
それで、他の学校を探しながら、学校を休むようになりました。
何も考えず過ごす日々に、救われた。
──学校を休んでいる間の過ごし方を教えてください。
おばあちゃんの家に居ることが多かったです。
基本的には何も考えずに日々を過ごしていました。
起きて、テレビ観て、ご飯食べて、寝て、みたいな。
でも、脱力してしまったわけではなかったです。
家では安心できたので、すごく解放感がありましたね。
──転校などは、考えたのですか?
他の学校について調べてもいたけど、結局、転校はお金のことがよぎって辞めました。
人間関係も大変そうだと思ったのもありますが、親に迷惑をかけたくなかったんです。
不登校中に相談していた先生から「1限だけ受けて帰ってもいい」という提案を受けて、少しずつ学校に行くようになりました。
──午前中から復帰されたんですね。学校への復帰は嫌ではありませんでしたか?
正直半々です。
不登校というよりかは、学校を辞めようと思っていたので。
でも学校を辞めようか先生に相談した時、「辞めるのはいいけど、後々大変になると思うよ」と言われて、午前中行くだけならできたので、そのまま学校に戻ろうと考えるようになりました。
──学校に対する考え方が変わったのは何か理由があるのでしょうか。
担任の先生や周りの雰囲気が変わっていたのが大きいですね。
当時、鬱ってあまり認知されていなくて、すごいこと、特別なことだと思われていたんです。
「やりすぎた」と感じたのかは分かりませんが、それまでのようなネチネチさはなくなりました。
また、1週間くらい午前中だけ通っていたのですが、それ以外の時間は主に保健室で過ごしていたんです。
だんだんと保健室の先生と仲良くなって、「今日はつらいから帰る」「今日は5限までいるの?」など、少しずつ話すようになって、それで楽になった部分もあると思います。
あまり居たくない環境ではあったけれど、午前中だけ通ううちに「毎日通っても変わらないかも」と感じ始め、毎日通うようになりました。
復帰してからも、心はつらい毎日。
──学校に復帰してからの話を聞かせていただけますか?
3年生になってからは、担任の先生も替わって、2年生の時よりは過ごしやすくなりました。
でも、変わらず毎日通うものの、気持ちの面はずっとつらかったです。
当時通っていたのがいわゆる進学校で、朝補習があったり、8限まで授業があったりして、朝早くから夜遅くまでずっと学校に居っぱなしだったんです。
土曜日には模試があって、日曜日もあまり休めず、家に居る時間は少なくなって。
特に2学期に入ると、担任の先生の態度が豹変して、余計に学校に居づらくなりました。
──どのように、態度が変わってしまったのでしょう。
いわゆる「受験モード」ですね。
うちの高校は、大学受験は一般よりも推薦の人のほうがずっと多くて、“推薦のためにいい成績を取り、10月11月頃には進学先を決める”という考えが当然だったんです。
授業だけはちゃんと受けていて成績は問題なかったので、僕も自然と指定校推薦を目指すようになりました。
でも、急激に指定校推薦の生徒に対しての態度が厳しくなって、ほぼ毎日1時間は説教をされていました。
忘れ物をした生徒がいると「次誰か忘れ物したらこの推薦書破くから」と言われたり、「カス」など罵詈雑言をあびせられたり……、脅しのようなものでしたね。
言われ続けるうちに頭がおかしくなるような感じがして、何が正しいのかも分からなくなりました。
──それはつらかったですね……。それでも毎日通われたんですか?
行くのはつらかったけど、さすがにひどいと感じたので、証拠を押さえようと考えていましたね。
ケータイで録音しようとした時もありました(笑)
そのうち、指定校推薦を辞めれば脅されるようなこともなくなるのではないかと考え始めました。
推薦を辞めて気持ちは楽になりましたが、状況は好転しなかったです。
クラス全体としてはやはり推薦希望者が多く、その生徒たちが朝から晩まで説教されているのを見ていると、自分自身は何も言われなくても自分も叱られているように感じてしまって。
しかも、推薦を辞めたことによって「諦めた人」として見られるようになったんですよね。
実際諦めたのは違いないし、学校の勉強だけをすれば怒られないだろうと考えていたけど、それでもしんどかったです。
──学校を卒業するまで、ずっとその雰囲気だったのでしょうか。
いえ、12月頃にまた態度が急変して、「卒業したら寂しくなるな」と言うようになりました。
でも同時に「もう受験も終わって……、あ、一般はまだか」などと嫌味っぽく言われることも多かったです。
この頃から「なんで生きてんのかな」「もういい」と考えるようになっていきました。
それでも、あと1年、あと数か月だからと耐えているうちに、気づいたら卒業していました。
──「耐え抜いた」というような形ですね。今振り返るとどうですか?
大学はもうどうでもよくて、受験とか勉強とかよりは、「卒業」がゴールでした。
でも、もっと早い段階で学校を辞めておけばよかったなと思っています。
学校なんて行かずに、もっと他のことに時間を使えたんじゃないのかな、今よりもっと良い人になれたんじゃないのかな、と。
卒業はしたけど、精神的につらい日々だったし、楽な死に方はないのか、親に迷惑をかけずに死ねないか……、毎日毎日、死ぬことばかり考えていました。
当時、なんで学校に通い続けられていたのか、自分でも不思議です。
──その後は、どうされたんですか?
浪人はせずに、受験した大学のうち合格したところに入学しました。
もう落ちることを前提、くらいで考えていたので、落ちまくりましたね。
それからは上京して、楽しく過ごせています。
感謝してもしきれない。「家族」という大きな支え
──高校生当時、保護者との関係はいかがでしたか。
親も兄も、感謝しきれないくらいに味方になってくれました。
僕が毎日死にたい死にたいと苦しんでいる中で、きっと親もどうしたらいいか分からなかったと思います。
でも、「どうすればいいの」と訊く母に「笑ってくれればいい」と伝えると、見事3年間笑い続けてくれました。
もともと元気な人でしたが、本当にすごいなと思います。
──しんちゃんとしては、家族には「居てくれればいい」という感じだったのでしょうか。
そうですね。
根本を解決はできないと思っていたし、特別何かをしてもらいたいということもなかったです。
それでも両親は、転校や通信制高校などについても調べてくれて、僕以上にいろいろ考えてくれていました。
──ご家族からの支えを受ける中、印象的な出来事はありますか。
「高校が世界のすべてじゃない。明るい未来が絶対に待っている」ということをずっと伝え続けてくれたのは、本当に助かりました。
母は笑顔で居続けてくれたし、父は「PTAに言おうか」と提案してくれたこともあります。
当時は断りましたが、今思うと、言っても良かったかもしれませんね。
また、兄が当時大学生で、「大学に入ったらもっと楽しいから、一年頑張ろう」と応援し続けてくれました。
ほとんど毎日愚痴を吐いていた僕にとって、家族の支えはすごく大きかったです。
高校生の時の自分に向けて、いま伝えたいこと
——当時の自分に伝えたいことがあれば、お願いします。
なによりも「無理をしなくていい」ということを伝えたいですね。
そして、今の自分の姿を見せたいです。
東京で一人暮らししていて、わりと“なりたい自分”になれています。
あとは、できれば死ぬのはあんまりよくない、とも。
その選択をしたら止めないけど、死ぬくらいなら生きてめちゃくちゃしちゃってもいいと思います。
——当時と比較して、今はどんなところが良くなりましたか?
「変わった」というよりも、「戻った」って感じですね。
高校時代は精神的に暗くなったけど、小中学校の時は元気に過ごせていたので。
今、その頃と同じように明るくなれているのが嬉しいです。
後は、女性関係とか(笑)
高校卒業してからいいこともたくさんありました。
「できることが増えた」こともすごく感じますね。
高校生の時は一人暮らしなんてできるのか不安だったけどしてみたら余裕だったし、今は好きなところに住んで、好きなふうに生きています。
——つらい時期もありながら、それを経て良い方向へと進めたのですね。本当に良かったです。
そうですね。
自分では考えられないくらい良い方向に進めたと思います。
「自分を責めなくていい」中高生たちへのメッセージ
——最後に、今苦しんでいる中高生たちにメッセージをお願いします。
どうか、自分を責めないでほしいなと思います。
無理に立ち直ろうとか、「~しなければ」とか、絶対に考えなくていいです。
僕は、今見ている世界がすべてではないんだなってことを、大学に入って知りました。
選択肢は自分が思うよりもいっぱいあって、自分が良いと思える世界がどこかにあるはずです。
そんなふうに思える世界を、ゆっくりでいいから見つけていってほしいと思います。
一つ言えるのは、「無理はしちゃいけない」ってことですね。
やりたいことをするだけでいいです。
やりたいことがないなら、家でゴロゴロしててもいいと思います。
人生は、いくらでもやり直せますから。
——あたたかいメッセージですね。今回は貴重なお話をありがとうございました。
[写真:吉中智哉]
- ◆大野真之介(しんちゃん)
- 岐阜県出身、20歳。
高校生当時の苦しい体験から、現在は悩みを抱える人の居場所作りに取り組む。
編集後記
しんちゃんとは、実はもう1年以上の付き合いがあるのですが、過去についての話を聴くのは初めてだったので、正直驚きました。
普段は明るいキャラクターなので、きっと意外に感じる方も多いのではないかな、と思います。
今回、しんちゃんのお話を伺っていて、学校で居づらさを抱えた時の「安心できる場所」「支えてくれる人」の存在の重要性をあらためて感じました。
そしてなにより、つらい状況下でも生き抜いてくれたこと、今こうして出会え、一緒に活動してくれていることに、感謝を伝えたいです。
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