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「死にたい」ことはダメなこと??

 

秋めいてきて、エアコンに頼らなくてもよくなってきた時期になりました。身体が汗でベタベタにならない快適な日々を過ごしています、どうも雪灯です。

汗かかないから外に出やすくなったのはいいんだ、だけどその分虫に刺されやすいのはものすごく嫌なんだよなあ。ちなみに今日もついさっき蚊に刺されました。右の親指の付け根。かゆい。

さてさてそんな感じで若干のんきですが、今夜もブログを書こうと思います。

 

あなたは最近、「死にたい」って思ったことはありますか??

もしくは、「消えたい」とか「死にたいくらいしんどい」とか「消えたいくらい苦しい」とか。

そんでもって、その気持ちを誰かに真っ向から否定された、なんてことはありませんか??

今回はそんな人に向けて書くお話です。

前に書いたブログと同じで、今回も手紙っぽく書こうかな。私が思ってることがきちんとあなたの心に届いてくれますように。

 

 

「死にたい」「消えたい」人へ。

よく頑張ったね。

何がって?? 今日1日生きること。

だってめっちゃ頑張ったやん。生きたくないって思いながら今日1日生き延びたんでしょ??それめっちゃすごいことやで。

例えば、嫌いな食べ物が晩御飯に出されて残さず全部食べなきゃダメだって言われたり、自分が超絶苦手で超絶嫌な授業があるってわかっていながらその授業にサボらず出席したり。それと同じで、生きることが辛くてしんどくて苦しいって思いながら今日1日を生き切ったあなたはものすごい頑張ったんだと思うのね、私。

だから、よく頑張ったね。ものすごい偉いと思うし、自分自身のこと頑張って生きたんだからもっと褒めてあげていいと思うの。あなたが自分自身のこと褒めてあげられないって思うなら、私がその分目いっぱい褒めてあげる。お疲れ様、よく頑張ったねって。

 

 

「死にたい」「消えたい」気持ちは悪いものじゃない。

ちょっと深呼吸して、思い出してみてほしい。周りの人に、「死にたいって言うのはいけないことだ」とか、「消えたいなんて縁起でもない」とか、「死にたいって言うなんて、生きたくても生きられない人に失礼だ」なんて、言われたことはないかな??

そして、その言葉に人知れず、あなたの気持ちは追い込まれたり苦しめられたりしてないかな??

私は昔、何通も遺書を書いた経験のある「死にたがり」でした。そして、その遺書が見つかる度に的外れな慰めの言葉を親から言われて、失望したりイラついたりしていました。自傷行為もしてたかな。その傷跡が見つかる度に親にお説教されたり泣かれたりして、いつの間にか「死にたいと思う自分が1番の悪者なんだ」と思うようになってました。

 

今思えば、まぁ両親も相当悩んでたんだろうなとは思います。1番最初に生まれた子どもが「死にたがり」で、だけど下にも沢山の兄妹が控えていて。子育てって並大抵のものじゃないし、我が家は両親ともに良くも悪くも真面目な人だから尚更悩んで心配してたんだろうなって。

当時の私もそんなことわかってた。だけど、見つけちゃったんですよね、「思春期で心に問題のある子どもへの接し方」みたいな感じのタイトルの本。ぶっちゃけそんな本に頼るよりももっと私自身のことを見て、私自身と向き合ってほしかった。その本を見つけちゃったせいで尚更、私は「死にたい」私を否定することになったんだと思うんです。

さっきあげた言葉も、あれ全部私が両親や先生からお説教で言われた言葉です。私はその言葉に追い込まれて、周りの大人の大半を信用できなくなったし自分自身を否定するしかなくなった。

 

だけど、ほんとに「死にたい」「消えたい」って思うのって、悪いことなのかな。

 

私は違うと思う。だって、「死にたい」「消えたい」っていうその気持ちは、自分自身がSOSを出すための気持ちなんだって思うから。

要はストッパーなんです。これ以上無理を重ねないための心の防御壁なんです。

 

ちょっと試してほしいのが、「死にたい」「消えたい」気持ちの置き換えです。

皆さんそれぞれの「死にたい」「消えたい」には、少なからず理由があると思います。その理由を「死にたい」「消えたい」の前に付け加えてみてください。そして、その後で「〜くらいしんどい」「〜くらい辛い」っていうワードをくっつけてみてください。

例えば、中学時代の私の「死にたい」の場合は「学校や家が辛いから死にたいくらいしんどい」ってなるし、高校時代の私の「死にたい」だったら「どこにも居場所が感じられないから死にたいくらい辛い」ってなるかな。

こうやって「死にたい」「消えたい」気持ちを置き換えてみると、今自分が何に対してしんどいって思っているのかはっきりわかると思いませんか?? そんでもって、「死にたいくらい辛い」「消えたいくらいしんどい」って言い換えてもらうと自分がどれだけしんどいのか、自分の心がどれだけ苦しいのかがわかりやすくなるんじゃないかなって思うのです。

置き換えてもらってわかった人も沢山いると思うけれど、「死にたい」「消えたい」気持ちは実は「辛い」「苦しい」「しんどい」気持ちの現れです。なんなら「辛い」「苦しい」「しんどい」気持ちの上位互換に「死にたい」「消えたい」気持ちがあるって思ってもらえるとわかりやすいのかな。もっとわかりやすくいえば、苦しい気持ちのピラミッドの1番上、その頂点に「死にたい」「消えたい」って気持ちがくるってことです。

「死にたい」「消えたい」気持ちがあるってことは、その分あなたの心が苦しくてしんどい思いをしているんだということなのです。だから、「死にたい」「消えたい」気持ちがあること自体は、決して悪いことでもなんでもないのです。「辛い」「苦しい」「しんどい」気持ちの延長線にあるだけなのです。

 

 

「死にたい」「消えたい」はおかしいことじゃない。

大人が「死にたい」「消えたい」気持ちを頭ごなしに否定してしまうのは、本当にあなたが死んでしまったり消えてしまったりすることが怖くて、それがとても嫌なことだと思っているからです。だけど、その心配や不安が勝ってしまって、皆さんの抱えている「本当のSOS」に気がつけなくなってしまうのです。そして、「本当のSOS」に気がついてもらえないことで皆さんはもっと苦しむことになって、「死にたい」「消えたい」気持ちが現実のものになってしまうんじゃないのかなって私は思います。

「死にたい」「消えたい」っていう思いはおかしいものじゃないし、さっき書いた通り置き換えて考えてみるとあって当然な面もあるんじゃないかなと思います。ただ、「死にたい」「消えたい」からそれを行動に移すっていうのはちょっと待ってほしい

実際に行動に移したけどやめたんだっていう人にも何人かあったことがあるけど、私はその度に「死なないでいてくれてよかった」「消えないでいてくれてよかった」ってその人に言ってます。「死んだり消えたりすることが怖いって思ってくれてよかった」って。

 

こればっかりは私の自己満足なのかもしれないけど、私に少しでも関わってくれた以上、いなくなって欲しくないんです。少しだけの関わりだったとしても、私にとってはみんな等しく大切な人だから。

あとは、関わってくれた人が死ぬことに対して、私の中でもちょっとしたトラウマがあるんです。だから、これは私のワガママだし私の自己満足なんだと思うけど、私は「一緒にゆっくり生きててほしい」って伝えます。辛いとか苦しいとか嫌だとかしんどいとか、全部ぶつけてくれていいから、生きててほしいって。それで私自身の心を壊す可能性も無くはないんだけど・・・・・私なりにこれ以上は無理っていう線引きはできる(はず)だし、みんなで生きている方が何倍も素敵だから。

だから、「死にたい」「消えたい」って気持ちが湧いてきたら、それを行動に移す前に誰か信頼できる人に話したり、ストレス発散に向けて動いたりしてほしいなって思います。

 

 

生きることを諦めないで。

「死にたい」「消えたい」って気持ちには、少なからず「生きたい」っていう気持ちが隠れてるんじゃないかな。

それってどういうことかっていうとね。さっきの置き換えの通りにいくと「死にたいくらい辛い」「消えたいくらいしんどい」って気持ちになるよねってことはわかってもらえたと思うんだけど、それってよくよく考えてみるとその「辛い」「しんどい」ことが解決したら気持ちが楽になるってことだと私は思うのね。そうすると、私なりに深読みすると「辛いからどうにかしてほしい」「しんどいから楽になりたい」っていう意味合いでの「死にたい」「消えたい」って気持ちは、「それをどうにかして生きやすくしてほしい」「この辛さから抜け出して楽に生きられるようになりたい」ってことなのかなって思うんです。

 

candleに在籍していて、「死にたい」「消えたい」って気持ちを抱えて相談に来てくれる子に何度か出会ったことがあります。その子たちのお話をじっくり聴いて、いろんな話をしていくけれど、本当に死にたくて消えたいなら相談にも来ないんじゃないのかなって思うんです。きっとね、生きるための勇気が欲しくて頼ってきてくれるんだって思うんだ。そういう意味でも、私はお話をきかせてもらえることがとても嬉しいと思うし、できる範囲で皆さんの力になりたいって思うのです。

 

生きることはとても難しいです。小学3年生の時からずっと、今もまだ「死にたい」気持ちと付き合い続けているから、私もその「死にたい」「消えたい」気持ちは痛いほどわかります。

だけど、どうか生きることを諦めないでください。絶対、諦めたらダメだよ。

 

諦めたらそこで試合終了、なんていう某漫画の有名なセリフがありますが、その通りなんじゃないかな。

生きていれば当たり前のように、苦しいことも辛いこともしんどいことも降ってきて、絶望することも沢山あると思う。だけど、それだけで人生丸ごと諦めちゃうのって、なんかもったいないんじゃないかな。

諦めなくていいんだよ。今はちょっと心も身体も羽休めして、十分に充電できた頃にまたやりたいこと沢山やったらいいんだから。

どうか、「自分の人生を生きること」を、「自分自身の後悔なく人生を生き抜くこと」を、諦めないでほしいなと思います。

ひとりじゃなくて、みんないるからね。何かあったら、もちろんcandleでも声を掛けてもらえれば、と思います。

 

 

珍しく日付が変わる前に投稿できそう。謎の達成感、やったね!

来週からは大学の授業が始まるからブログの投稿も減っちゃうのかなあとは思いますが、また気長に待っててもらえたらいいなと思います。もちろん感想も待ってるからね(´˘`)

皆さんが体調崩すことがありませんように!

またお会いしましょう(*ˊ˘ˋ*)♡

 

雪灯

 

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