元不登校生の私が、周りの大人にして欲しかったこと

 

8月も終わりに近づいてきて、何となく気持ちが不安定になることも、あるようなないような・・・・・そんな感じでたまにしんどいなーと思う時がちょくちょく増えてきた雪灯です。皆さんはいかがでしょうか??

元々この時期って不登校してた時期と重なってしまってしんどい気持ちが私の中ではありますが、秋って脳科学的にも気持ちが落ち込みやすい季節だと耳にしたことがあります。この時期はここに来る皆さんにとってとてもしんどい時期だと思うけれど、それは科学的にもおかしいことではないし、その気持ちは周りと比較する必要があるものではないのではないでしょうか。とてもしんどいなら、自分のことを優先して休んでいいんです。自分の心を守るために、逃げてもいいんだっていうことは頭の片隅に置いておいて欲しいなと思います(後日別のブログで詳しく書きたいな)

さて、今回はそんな皆さんの周りの人向け・・・・・特に、保護者の方や教職員の方向けに、私が不登校を経験して感じたことを元にした『こんなことをして欲しい』ということを書いていきたいと思います。

ここで私からお願いです。どうか、当事者である皆さんと一緒に、皆さんのおうちの方や学校の先生にこの記事を読んでもらって欲しいです。皆さんが読むのはもちろんのこと、皆さんの周りの大人に読んでもらうことで意味のある文章になると思います。「自分は1人で読みたいな」と思う人は、この記事のリンクをLINEでおうちの人に教えたり、この記事のURLを先生に教えたりした上で「一度これを読んで欲しい」と伝えるだけでも構いません。この記事をきっかけに、皆さんの気持ちの負担を減らすための話を周りの人としてもらえたら本望です。

この記事を何らかのきっかけで読むことになった大人の皆様へ。私は不登校を経験する中で「大人の無理解」にとても苦しんだことが今でもトラウマのようになっている現状があります。保護者や担任の先生といった周囲の大人の理解の有無が不登校生にとって大きな影響があるということを知って頂くと同時に、この記事をきっかけとして「不登校生側」の気持ちを少しだけでも知っていただきたくて私はこのブログを書いています。これが皆様の周りの子どもたちの支援に少しでもお役に立てれば幸いです。

ただし、これはあくまでも『雪灯個人の意見』ですので、鵜呑みにせずに子どもさんひとりひとりに合わせた対応をして頂きたいと思います。この点についてはご承知おきください。

1、不登校であることを責めないで

なぜ不登校になったのか、どうして学校に行きたくないのか、周りの子は行っているのになぜ、と思うためにしつこく子どもさんにきいてしまったり、周りと同じようにきちんと学校に行きなさいと声を荒らげてしまったりしたことはないですか??

私の父親は、私が不登校になったばかりの時は後者に当てはまる行動をとっていました。行かなければ単位が取れないだろう、課題ができていないだけで休むのか、と不登校になり始めた時に私は父によく怒られました。無理やりに制服を着て、泣きながら「学校に行きたくない」と言った私の頬を平手打ちしたこともありました。それがあって、元々大声が苦手な私はさらにそれが苦手になり、父を相談相手として認めることができなくなった時期がしばらくありました。

学校の先生も、担任を受け持ってもらった先生の反応が父と似ていて、とにかく単位が取れなくなるから来いという人でした。行こうと思っても辛い気持ちが勝って行きたくない私には、その言葉がとても苦痛でした。

一方、母は前者のタイプでした。高校で不登校になったので単位や出席日数の関係で学校に呼び出される度に行き帰りの車内でいろいろなことをきかれたものです。私が不登校になった理由は、正直、いろいろなことが絡んでいてよく分かりません。だから理由を聞かれても答えようがなかったし、何か言ったところで怒られるか的外れに宥められるだけだったことが、より私のことをみじめに感じさせました。

両親のことは嫌いではありません、むしろ尊敬している部分もあります。だけど、いやだからこそ、心に傷となって残っているものも多いのです。

不登校は、「普通」ではないかもしれないけれど、それが「悪」であることは絶対にありません。普通じゃないからおかしいなんてことはないし、そういう考え方はあってはならないと私は思います。

不登校の理由は人それぞれさまざまあるし、そもそもわからないという子どもさんも沢山います。LINE相談に来る子の多くは、大人にとってこんなことかと思えるような理由で学校に行きたくないと相談に訪れます。しかし、それは「こんなこと」で済むようなことではないのです。その子にとってはおおごとなのです。学校に行きたくても辛いことがあるから行きたくないと思う子も沢山います。

学校に行きたくないと思うことは悪いことじゃないし、それを不登校という形で周りに伝えられることはむしろすごいことだと思います。抱え込んで悩んでいることを伝えられない子も沢山います。だからこそ、子どもたちが決断した「不登校」という選択を否定することはしないであげて欲しいと私は思うのです。

2、周りと比べないで

特に兄弟姉妹がいるという方に伝えたいです。絶対に兄弟姉妹と比べたり、兄弟姉妹の行動をその子のせいにしたりしないでください。同学年や同じクラスの子どもたちや、その子の友達、親戚の近い年代の子どもたちとも、その子を比べないであげてください。

私が母に言われて傷ついた中に、「弟や妹が学校の宿題できなくて学校休みたいって言ったの、アンタのせいじゃないの」という言葉があります。これは遅刻して高校に向かう送迎の車の中で、母とふたりきりの時に言われたものです。すごくショックでした。私の言動が実際にきっかけとしてあったとしても、絶対に言って欲しくなかった。逃げ場のない中で言われたこの言葉で、私はその後自分のことをとても責めました。自分のせいじゃないことで自分を責めたのです。この言葉ひとつで、私は弟や妹と比べて「普通じゃない」と思わされると同時に「自分のせいで弟や妹はあんなことを言ったのだ」と母親から責められることになったわけです。矛盾しているような行為ですが、自分のことを責めないでいられるわけがなかったのです。

あと、今でも両親にちょくちょくやられることとしては従姉妹とよく比較されるということです。「あの子はもうあれをしたのに、あんたはまだしていない」と比較されることは、成人した今でも苦痛です。あの子と私は違うのに、とよく思います。

人は違って当たり前です。できることもできないこともあることは当然のことです。

じゃあ、なぜ比較される必要があるのでしょうか?? 不登校だから普通じゃない、なんてどうしてそう言えるのでしょう?? そもそも普通ってどんなことなんでしょうか??

『みんな違ってみんないい』のです。違うことは当たり前で、できることを伸ばしてできないことはできないなりにやれたらそれでいいのです。比べる必要なんてどこにもないのです。ほかの子どもと比べる前に、その子のことをよく見てあげて欲しいです。

3、ひとりになる時間を作って

これは、子どもも大人も両方です。何故なら、互いに離れて気分転換をすることも必要だと思うからです。

私は高校時代からずっと自室で何も気にしないままひとりでいられる時間が好きでした。一方で、不登校であることで母が休みの日はとても気にしていました。母がひとりで過ごす時間も、私がいることでやりたいことができなくなってしまうと知っていたからです。

これは大学に入った今もそうで、最近持病の関係で自力で公共交通機関を使っての登校が出来なくなった私を送迎する役目をいつも担っていてくれたのは母です。迷惑ではないと言われたけれど、それでも母のやりたいことができないことを私はすごく気にしていました。一度、買い物に行きたいから無理をさせてしまうけれど自力で頑張って学校に行ってもらえないかと母に言われたのを快諾した覚えがあります。

ずっと一緒にいることでストレスが溜まってしまうこともあるし、それが負のループを生んでしまうこともあります。だからこそ、子どもさんにひとりでいたいと言われた時にはできる限りそれを尊重して欲しいです。ひとりでいることで気分転換をすることもできますし、子どもさんが自分と向き合う時間を確保することにも繋がります。

そして、同じように大人側もきちんと気分転換をする必要があります。子どもは大人が思うよりも大人の気持ちに敏感です。イライラしている気持ちも、辛い気持ちも、どこかで子どもたちは察しています。察した上で子どもたちは自分の意思を殺します。子どもたちの意思を大切にするためにも、大人側が気持ちに余裕を持っていられるように気分転換を大切にして欲しいと私は思います。

4、きちんと向き合って

ありのまま全てを受け入れて、なんていうことは言いません。それはきっと無理です。その子の思いの中で間違っていると思われる部分は正す必要があるし、その子の行為の中で悪質だと思われるものにはきちんと注意をする必要もあります。

だけどその代わりに。その子とふたりきりで、その子に向き合える時間を作ってあげてください。

私の不登校期間の楽しかった思い出の中のひとつに、母とふたりきりで出かけたことがあります。どこにも出掛けたくないと渋る私を、市外だから誰も知り合いもいないし大丈夫だからと半ば無理やり連れ出した母が向かった先は、彼岸花が咲き乱れる某所の堤防でした。着いてしまえば私も母も楽しくて、ふたりでお弁当を食べて、ふたりで堤防を歩きながら彼岸花の写真を撮って、そばの某記念館を回ってお土産を買って。

ありふれたお出掛けの何が嬉しかったのか、それは私と母のふたりきりだったということです。多兄妹の長女、それも1番上に生まれた私はそこまでしないとなかなか母とふたりきりで出掛けられなかったのです。そうして母が私と一緒にふたりでいて、ちゃんと私に向き合ってくれたことが、私はとても嬉しかったのです。

大学生になって、家庭教師のバイトを始めた私を最寄り駅まで送迎してくれる父との会話も私はすごく好きです。駅から自宅までの15分ほどの道のりの中の車内で、今日のバイトもいつも通りにできたとか、今日の晩御飯は何かあてっこしたりだとか、時には自販機で買ったコーヒーを父に渡したりなんかしてそうやってふたりで何気ないことを話すことが好きなのです。

中学時代の個人面談の時間も好きでした。担任の先生といろんなことを話しました。中学2年の時は特に、自殺未遂や自傷行為を繰り返していたこともあってよく話をきいてもらっていました。11で話をきいてもらえるということがとても嬉しくてありがたかったです。

この3点に共通することは、それぞれが私とふたりきりになる時間、私のことだけを見ていてくれたということです。自分のことを多少なりとも受け入れて、じっくり話を聴いてもらえて、自分のことを認めてもらえる。ふたりきりの時にはそれがしっかり出来て、それが私を安心させてくれたのです。

兄弟姉妹もクラスの子も、全部脇に置いておいて、彼らと向き合って彼らの話を聴く時間をたまには作ってあげてください。そして、彼らの存在をきちんといろんな意味で認めてあげて欲しいのです。その行為やそこから得られる安心感が、彼らにとって今1番必要なものなのではないかと私は思います。

5、どうして欲しいのかきいて

最後に。子どもたちそれぞれに、今どうして欲しいのか、今どうしたいのかをきいてあげてください。多分これが1番大切です。

ここまで書いてきたことは、一番最初に述べた通り『雪灯が雪灯の経験を元に感じた、周りの大人にして欲しいこと』です。全て筆者である私の経験に基づくものです。だからこそ、当事者自身にどうして欲しいのかを聴いて欲しいと思うのです。

例えば、転校するか否か。私は一貫して転校を拒否しましたが、中には定時制高校に転校したいと思う子どもたちも沢山いると思います。

例えば、支援の方法について。私はあからさまな特別扱いをされたくないと思いましたが、中には保健室登校などのしっかりした支援をして欲しいと思う子どもたちもいるはずです。

子どもたちの持つ悩みも、思いも、千差万別です。私が書いたこれはあくまでも参考文献で、ただのきっかけに過ぎません。子どもたちが本当にして欲しいことは、彼ら自身がいちばんよく知っているはずです。だからこそ、子どもたちの意見を尊重しながら、きちんと話し合うことが必要だと私は思います。

 

そして、一緒にこれを読んでいた皆さんへ。

「雪灯さんはこう思ったけど私は違うな」とか、「ここで思ったことは同じで、私もこうしてほしいな」とか、読んでいて思ったことはたくさんあると思います。どうか、それを一緒に読んでいた大人の人や、あるいはこの記事をシェアした大人の人に伝えて欲しいです。それだけでも、皆さんがして欲しいことが周りの大人の人に伝わります。「じゃあどうしたい??」ときかれたら、遠慮なく伝えたっていいんです。大人の都合を考えすぎなくてもいいのです。1番大切なことは、皆さんの思っていることをきちんと周りの大人に伝えることで、自分の気持ちを大切にすることですから。大丈夫、きちんとそれを受け止めた上で大人はちゃんと考えますよ、きっと。

 

 

 

相変わらず長い文章になりました。ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

このブログが少しでも、沢山の人のお役に立ちますように。

雪灯

 

不登校生のための『無料LINE相談』24時間受付中!

candleでは、不登校の小中高生からの悩み相談を「LINE」で24時間いつでも受付しています。相談はすべて無料!不登校を経験したスタッフや、カウンセラーの資格を持つスタッフたちがあなたの相談にのらせていただきます(*´`)

無料LINE相談はこちら