高校入学して間もなく、新たに通い始めた塾の先生に言われた言葉が今でも忘れられません。
どうしてこの高校選んだの?
それは普通に志望理由をきいたわけではなく、「こんな偏差値の低い高校に行くなんて」という意味を暗に含んだ問いでした。
その後講師の方は、私が通っていた高校の卒業後の進路などを見ながら「○○大(某有名大学)には一人か・・・でも浪人だなぁ」「鷹れんさんの学力ならもうちょっといいとこ行けたでしょ」などと言ってきました。
たしかに、学力面で褒められる学校ではありません。因数分解のできない子なんてざらだったし、むしろ2桁の掛け算になった瞬間ギブアップする子もいました。
バイトばかりになって学校に来なくなってしまう子は珍しくありません。一年生のときには一クラス30人だったのに卒業するときには一クラス20人あまりでした。
けれど、高校ってそれだけなんでしょうか。
学力とか、テストの点数とか、卒業後の進路先とか、そういうのだけなんでしょうか。
当時の私はどうにもやるせなくて、けれど講師の方に反論することはできませんでした。
それは、私の中にひとつの悩みがあったからです。
「勉強ができない」コンプレックス
今では大学で楽しく数学や理科の勉強をしている私ですが、実は高校入学までは勉強が苦手で苦手でしかたありませんでした。
中学生のときとある恩師に出会えたおかげで、数学に関してはだいぶ好きになれていましたし、「学ぶ」ということの楽しさは充分理解していたのですが、不登校だったのもあって遅れがあるのは事実で。特に英語なんて積み重ねてなんぼの科目は、どうしてもまわりとの差があったんですよね。覚えてる単語の数だって、理解してる文法の量だって、読める文章の長さだって、かかる時間だって違う。全部、頭ひとつどころか100コ分くらい遅れていました。
できないからやる気が起きず、またわからなくなる悪循環。それを繰り返した私は、どんどんみんなから置いていかれて、宿題さえもやらなくなってしまいました。だってわからないんだもの。いつまで向き合ってみたってわからない。授業中の説明も呪文でしかなくて、耳の中には入るけど頭には届かないような、異国のコトバみたいな感覚でした。
先生に「このままじゃ“1”つくよ」と言われても、テストでありえないような点数をとってしまっても、漢字の小テストでひとつも書けずに冗談抜きで白紙提出になってしまったときも、どこか他人の出来事のように感じてしまっていました。
テストの点数を見せ合うことは出来なくて(とても見せられる点数ではなかった・・・)、テストが返却されるときにはいつも教室の隅や自分の席でちいちゃくちいちゃくなって時が過ぎるのを待っていました。
でも数学だけは頑張りたくて、中学三年生のときその場しのぎに始めさせられた塾でも数学だけは一生懸命取り組んでいました。(といっても、その場しのぎすぎて期間がとても足りなかったのでやったのは数学と英語だけでしたが)
コンプレックスを克服できた理由
私が数学だけでも頑張れたのは、ひとえに「恩師」の存在があったおかげです。
中学二年生のとき担任だったK先生。高校一年生のとき教科担当だったT先生。高校二年生から三年生まで面倒を見てくれたA先生。
お三方の存在があったからこそ、今私は大学に行っているのだと思います。
K先生が、私の中にある「数学への苦手意識」を取り払って、勉強の楽しさを教えてくれました。T先生が、エンジンのかかりだした私の「勉強へのやる気」の背中をうまぁ~い具合に押してくれました。そしてA先生が、まだ私の知らない数学の楽しさや大学での数学の話をして、私の「数学への知的好奇心」を高めてくれました。
誰か一人が欠けていても、順番が違っていても、ここまで私が勉強を好きになれることはなかったと思います。本当に、感謝してもしきれません。
特に、K先生が言ってくださったことで、ずっと心に留めている言葉があります。
「授業は間違えるのが当たり前。間違いを恥じるな。間違ったのは、挑戦したからなんだ」
それまで私は、「間違い」というものをとても恐れていました。
小学生のとき、毎日算数などの簡単なワークプリントが出ていて、日直になった人が「朝の会」で答えあわせするのが習慣になっていたのですが、問題はそのやり方。
日直が、自らのプリントの答えを読み上げるのです。「問1、四捨五入して42」みたいな。
復習がほとんどだったので、一問も分からないなんてことはないのですが・・・
間違えると、「ん?」という声が聞こえてくるんです。
座っている30人の大多数は正解を出していて、「自分と違う答えが出てきた」ということに違和感を覚えてそれが声になっているだけなんですが、「ん?」の声はひとつではなくて、いくつもいくつも、聞こえてくるんです。
今ではそれが「違和感が声に出ただけ」と分かるのですが、当時は居心地が悪くて仕方ありませんでした。
お前なんかできない。間違ってる。価値が無い。
「ん?」という言葉が繰り返される度に自分を否定されているように感じてしまっていました。
それから私は、手を挙げて発言したり自分の考えを言葉にすることにとても臆病になってしまいました。
そんな過去の経験から出来上がった「間違ってはいけない」という考えを、K先生はいとも簡単に壊してしまったんです。
「授業は間違えるのが当たり前」なんて、すごく衝撃的でした。とても嬉しかったです。心の荷物がどーっと降ろせたような、清々しい気持ちでした。
きっと「勉強」が嫌いだったわけではなくて、「間違えるかもしれないこと」から逃げていただけだったんだろうなぁ。
「勉強できない」って悪いこと?
K先生の言葉をきっかけに、「勉強」というものを肯定的に捉えられるようになった私は、今では都内の大学に通っています。
別に「おぉ~」なんて言われるところではないけれど、学校は勉強が全てとは思っていないし、「私に合う場所はここだ」と、一年過ごした今、感じることが出来ています。
そんな私ですが、実は勉強は未だにできません。
そりゃ数学は大好きですし、「ゼロがうまれたきっかけ」とか「素数の美しさ」とか「数式をうまく紐解けた瞬間の快感」とかいろいろ話したいことはありますが、それは「好き」なだけで「得意」なわけではないのです。
現に大学だってギリギリセーフくらい、常に瀬戸際です。
覚えてる英単語の数なんてたかが知れているし、勉強を教えられるのはせいぜい文系の高校数学まででしょう。理系の高校数学はもう一度勉強しないとってくらい。(高校は文系と理系で数学の難易度が変わるのです。・・・当たり前ですね。笑)一番できるであろう科目でさえこれだから、他はもっとギリギリです。社会なんて小学生にも教えられるかどうか・・・。
テストの点数で見れば、私は「勉強できないグループ」に分類される気がします。自信なんて微塵もありません。
でも、私は勉強が大好きです。
知らないことに出会うとどきどきわくわくします。もっと知りたい、もっと知りたいーってエンジンはとまりません。分からない言葉や分からない問題に遭遇したときには、まるで宝の地図を見つけたかのように目を爛々と輝かせ、一心不乱にその言葉・問題と向き合います。いわゆる「知的好奇心」ってやつですか。
結論から言えば、「勉強ができない」というのはなんの問題もないと思います。
勉強ができない私でも、大学まで来れてしまいました。まわりから「院はどうするのー?」なんて言われるくらいにはちゃんと出来ているみたいです。
別に鎌倉時代が何年から何年までなのかが分からなくたって、因数分解がわけわかんなくたって、バラって漢字を書けなくたって、生活で直接困ることはありません。
もちろん大学に行くにはある程度できないと試験を選ぶだろうし、「勉強ができる」ということが有利に働く場合もあります。そういう意味では「勉強ができない」というのは少々不利になってしまうかもしれません。
けれど大学に行かなくたってしにはしないし、(「学歴」がなんにも響かないとは言わないけれど)「学歴」で運命が全部決まってしまうなんてことはありません。
勉強が苦手なら、他を輝かせればいいではありませんか。
スポーツ。音楽。絵。なんでもありますね。
勉強だって、別にオールラウンダーになる必要はありません。
ひとつ「これは誰にも負けない」という武器を見つけることができたなら、もうそれだけで、いいのではないかなぁ。
ちなみに私の誰にも負けない武器は、このブログの中にも出てきましたが「知的好奇心」です。知識がなくても分からなくても、むしろ分からないものこそ「知りたい」と貪欲に突き進める“特性”は、私が生きてきた中ではけっこう役に立っています。あくまで「今のところは」ですけどね。
皆さんの「武器」、もしあったら教えてくださいね(*´`)
鷹れん
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