3月11日。決して忘れられない日付のひとつです。
5年前の今日、日本を大きな地震が襲いました。今も多くの方が仮設住宅での生活を余儀なくされていたり、「復興」はまだまだ途中段階だそうです。
忘れることはないけれど、「なにかしたい」と思っても実際に被災地に行って活動をしたり物資を送ったりといったことは、簡単にはできないものです。
しかしそんな私たちにも、できることがあります。その一つが「検索」です。
「Search for 3.11」プロジェクト
Yahoo! JAPANで「3.11」と検索すると、ひとりにつき10円が東北支援のために寄付されます。
↓のボタンからプロジェクト用のページにいくと、より詳しい情報を見ることが出来ます。寄付をする団体のことも調べることができます。他にも「ビックデータ篇」と言って、2011年3月11日から今日までに検索された言葉を、検索数によって大きさを変えることで、「人々の興味・関心を可視化」する動画などもあったりします。(去年も観たのですが、今回も涙が止まりませんでした^^;)
今手に持っているスマホやパソコンで簡単にできるので、ぜひ試してみてください(*´`)
2011年3月11日に、私はどうしていただろう
2011年3月11日。私は、中学二年生でした。授業の終わりに、廊下の掃除をおこなっていました。
突如始まった地震はゆっくりとした大きな横揺れを続け、窓から見た第二校舎の壁が激しくしなっている光景が、今も眼に焼きついています。経験したことのない事態に私自身驚いていましたが、地震が始まってすぐ隣にいた女の子が泣き出してしまったため、それを宥めるのに精一杯でパニックになる暇はありませんでした。壁にもたれかかるのがやっとで、座っていても体が揺れに引きづられるような感覚でした。
幸いなことに照明が落ちたり棚が崩れたりといったことは全く無く、地震が収まってから余震を警戒しながらグラウンドに全校生徒が集合しました。
その後点呼をして集団下校。諸事情あって当時電車通学だったのですが、当たり前なことに電車は動いておらず、約1時間かけて帰宅しました。帰宅したら学校に連絡するようにと指示されていましたがもちろん電話はパンク状態。その三時間後くらいに学校から電話がかかってきて、ようやく帰宅報告をすることができました。
それからは、幸いなことに私の住んでいる地域では大きな地震や津波などはなく、ニュースで情報を仕入れながらすぐに学校も再開しました。電車が運休になることも珍しくなく、「電車が運休の際は学校を休んで大丈夫」という指示があったのでしばらく休んだり行ったりまばらな日が続きました。心残りは、ホワイトデーにちょうど電車が運休になり、バレンタインのお返しをいただけなかったことでしょうか。(笑)
私の場合はすぐに日常が戻ってきました。もちろん計画停電や学校行事の変更(延期・中止)などはありましたが、ガスや水道が完全に停止するようなことはなく、いたって普通の日々を過ごすことができていたのです。
まるであの日が幻かなにかだったように。けれどそれは紛れも無い真実だということを、ニュースなどを観る度に思い知らされました。
今、思うこと
震災から5年経った今も、ニュースでは時折被災地の様子が報道されます。最近では、やはり5年という節目が近づいたからか津波などの実際の映像が流れることも増えました。
私は、それを観ることができません。
津波や、地震・・・それらの映像を観ると、何故だか涙が溢れてしまうのです。「私が直接被害を受けたわけではないのに私が泣いてどうする」と感じたりもしますが、やはり涙は止まりません。
しかし、いつまでも泣く自分を責めてもしかたのないこと。出てきてしまうのだからしかたありません。
それよりも「被災地にいる人はもっと大変だろう」と思いを馳せることが大切だと思うのです。
私たちにできることは決して多くはありません。けれど少なくも無いはずです。
検索をしたり。被災地の食べ物などを買ったり。寄付や募金をしたり。情報を拡散したり・・・。人それぞれの「手伝い方」があるのではないでしょうか。もちろん、直接行ってお手伝いをするのもいいと思います。もちろん向こうがどんな状況か、自分にできることがあるのか(迷惑にならないか)、どんな準備が必要かなどの情報収集をしっかりしてからね。(*´`)
ではでは、早速「検索」してまいります!皆様も、お時間があったらぜひ^^
鷹れん
- 不登校生のための『無料LINE相談』24時間受付中!
-
candleでは、不登校の小中高生からの悩み相談を「LINE」で24時間いつでも受付しています。相談はすべて無料!不登校を経験したスタッフや、カウンセラーの資格を持つスタッフたちがあなたの相談にのらせていただきます(*´`)
無料LINE相談はこちら