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「友達」ってなんだろう?

最近、「友達」「親友」というような言葉をよく耳にします。
幸いなことに「友達は?」ときかれて浮かぶ顔はいくつかありますが、友達じゃない人と友達な人の境界線とかはよくわかりません。
小学生の頃、女の子同士の水面下での戦いに辟易として、
おそろいの髪ゴム、おそろいの「カワイー」、おそろいの遊び、あそろいの趣味、おそろいのノート、おそろいのリュック・・・そんな「おそろいアピール」がイヤになって、自らひとりで過ごすことを選んだことがあります。
そのくらいから、たまに「友達ってなんだろう?」と考えるようになりました。今でも明確に「コレ!」とは言えないけれど、長年考えてきた自分なりに、ブログにしてみようと思います。このブログを書くことで、またなにか思いついたりするかもしれません。

友達の定義とは~鷹れんの場合~

「友達の定義」なんてわかりませんが、私がそれをきかれたとしたら、

  1. 泣ける
  2. 違うものを「違う」と言える
  3. 損得勘定抜きで行動できる

の3つです。もちろん例外なんてごまんとあるけれど、「友達」と呼べる人相手で思い浮かんだのはこれかなぁ。
では、ひとつひとつを詳しく見てみましょう。

泣ける

私は、泣き虫です。超涙もろい!
けれど、人の前で泣くのは正直苦手です。
悲しいだけでなく感情が高ぶると泣けてしまって、ケンカのときなども同じでした。ケンカで泣けば、相手のせいになってしまいます。(しかも泣いてるのは小さな女の子!)それは相手に厳しいことを言われたからとかじゃなくて、単に感情がヒートアップして溢れてしまっただけなんです。
いわば「自分の責任」なのに、それが相手のせいになってしまう。責任転嫁なんてするつもりないのに。でも私だって、その状況だけを見れば「泣かせるなよ!」って言ってしまうと思います。
そんなのはイヤで、だから「涙もろい」ということをひたかくしにしてきました。
さらに根本は見栄っ張りでかっこつけなので、やっぱり泣くのは勇気がいります。だからこそ、「泣ける」っていうのは、信頼している証だと思うんです。
けれど、最近は泣くことが増えまして。というのも、「泣く」ということを肯定的に捉えられるようになったからだと思うのですが、結構いろんなところで泣いている気がします。笑

違うものを「違う」と言える

私が女子グループのコミュニケーションを嫌がるようになったのは、「みんな一緒が正義」という考え方からでした。趣味でもないおそろいのリボンを着ける気にはなれなかったし、そんなことをしてでも付き合いたいと思うほど執着してもいませんでした。
私はファッションにもメークにも興味ありません。ぶっちゃけ服は着れりゃいいです。ショッキングピンクや蛍光色、ハートやリボン、キラキラじゃなきゃほとんど選り好みしません。
さすがに女子大生としてどうか・・・となって気を配るようにはなりましたが、やっぱりファッション雑誌は興味ないし女性雑誌のコーナーで立ち止まることもありません。
「押し付けられること」が苦手なので、「アクセサリーとかつけないと~」「化粧しないともったいないよ」みたいに言われると疲れます。それが私を思っての言葉だとしても、申し訳ないとは思いますが、ありがた迷惑というのが正直なところです。
でもそれが「友達」なんであれば「私は興味ないから」と一蹴できるのかなと。
興味ないものはないし、イヤなものはイヤだし、行きたくないものは行かない。その逆も然り。
別に友達だからっていつも一緒にいなきゃいけないわけではないと思うし、むしろ一年ぶりくらいの再会で変わらず接せられるほうが「友達」だなぁって感じます。いつも一緒も楽しいけどね。たまにはひとりになりたい夜だってあるじゃない。

損得勘定抜きで行動できる

基本、損得勘定はしません。「相談したいことがあるんだけど」「頼みたいことがあるんだけど」なんて言われれば、自分にできる範囲でできうる限りのことはします。相手問わず。
でも、それって意外と大切なことなんじゃないでしょうか。
損得勘定して、「これをしたら自分にこれくらいの利益がやろうかな・・・」みたいに頭の中でそろばんはじくほうが、私は疲れます。だから手を出せるものはどんどん手を出しちゃいます。「これ引き受けたら疲れるかも」みたいなのはあんまり疲れません。
がんばる理由をしいてあげるとすれば「自分の成長の糧にできるから」。どんな経験にしろ、失敗でも成功でも、それは自分の成長につながります。自信になります。かけがえのないものを手に入れるチャンスになります。
少しでもそろばんをはじきそうになったときには、やりません。疲れちゃうのでね。まぁそれも自分の成長の糧になるんだろうけれど、いやなものはいやなんだもん。

片想いは友達じゃないのかな?

「こっちは友達だと思ってても相手はそう思ってないかもしれない」みたいな声をきくことがあります。いわゆる「片想い」ってやつですね。
これ、どうなんでしょう。友達じゃないんでしょうか。
私の意見は、「片想い上等。思い続けてやろうじゃないの」
片想いなんて、すごいじゃないですか。
「人を想うことができる」って、実はすごいステキなことだと思うんです。そして貴重。
「友達」の定義は人それぞれだけれど、誰にでもつかえる言葉じゃないですよね。通りすがりの人を指差して「あの人トモダチ」なんて簡単に言えるもんじゃない気がします。
友達だって言えるってことは、相手に対してなんらかの愛情を持っていて、少なからず信頼している証拠だと思います。
たとえ相手から友達だと思ってもらえていなかったとしても、自分の中にうまれた感情(愛情、信頼など)は嘘ではありません。本当のことです。
その気持ちは、大切にしていっていただきたいです。
切ないけどね。友達だと思ってた人から友達だと思われていなかったとしたら。切ないけど、人の気持ちなんて操れないし、「しょうがない」って割り切るしかありません。惚れたほうが負けなんだから。笑
皆さんの「友達の定義」もよかったら教えてくださいね。ではでは、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
鷹れん

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