私・鷹れんは中学一年生の二学期と二年生の一学期に不登校でした。
一年生の三学期に再び学校に行くようになったのは、別に学校に対するトラウマを克服できたからではありません。「学校にいるつらさ」よりも「家にいるつらさ」が大きくなっただけの話なんです。
では、なぜ家にいるつらさのほうが大きくなってしまったのか。
それは、家族からの数々の言葉が原因でした。
その言葉たちをずーっと背負っていたけれど「もうそろそろおろしてもいいかな」なんて思ったので、ちょっとここいらでおろしちゃおうと思います。
・・・と思ったけどたくさんありすぎたので分けて紹介します。今日はPart1!
親に言われてつらかった言葉
「お前の親なんかやめてやる」
状況
親に言わずに学校を休んだことがバレて、母親と一緒に学校に行かされた帰りに言われました。
思うこと
もともと親らしいこと一度でもしたのかよ。
・・・なんて反抗するエネルギーは私にはなくて、「自分の存在価値」がわからなくなりました。
だって「親をやめる」って、子供を愛していたら言えないでしょう。
産まれたこと自体を、生きてることを責められているように感じました。つらくて、苦しくてしょうがなかったです。
「戦うか、逃げなきゃ、決めなきゃなぁ」
状況
不登校になってしばらく経ったころに父親から言われました。
戦う=再び学校に行く、逃げる=転校という意味です。
思うこと
「逃げる」なんて言葉をつかう時点で「転校」を否定的に捉えてるのなんて分かりきっていたし、
そもそも「立ち止まる」「休憩する」のなんてアウトオブ眼中なの自体どうなんですかね。
そりゃあそのとき既に一ヶ月経ってたけれどもよ。
その前に私が悩み苦しんだのは、それよりもっとずーっと長い期間だったよ。
こんなことも分からずに「決めなきゃなぁ」なんてどの口が言うっつうのよ。
「嘘吐き」
状況
不登校のとき「担任の先生に会うだけでいいから」と言われなくなく父親と二人で行った数日後。
父親から「次はいつ行くの?」と聞かれたとき、担任の先生と一週間後くらいに二人で面談をする予定だったのでそれを伝えました。
しかし当日になってどうしても行けなくなってしまって、結局その約束を破ることになりました。
その夜、布団の中でうずくまっていた私は、きいたんです。
私の部屋の目の前で父親が吐き捨てた、「嘘吐き」の言葉を。
思うこと
約束を破ってしまった罪悪感に押しつぶされそうでした。
ただでさえ崖っぷちなのに、その背中をグッと押されたような感覚でしょうか。
両親に対する申し訳なさ、約束を破った罪悪感、自己嫌悪・・・。つらくてしょうがありませんでした。
「やってるんだよ、そういう学校は」
状況
これは、大学に通い始めてしばらく経ったころに言われた言葉です。
「大学で何を学んでいるのか」と聞かれたので、「数学は行列と微積やってる。行列は大学行って初めて」と答えると、「やってるんだよ、そういう学校は」と言われました。
「鷹れんが通うような底辺高校がやんないような範囲まで頭のいいそれなりの高校はちゃんとやってるけどね」という意味ですね。
思うこと
いやもうマジふざけんなとしか。
大学生になった鷹れんは、こんくらいじゃビクともしません(笑)
「勉強」だけが高校の存在意義とは思いません。それよりももっと貴重で素晴らしいものを、私は高校で得ることが出来ました。
勉強だって、中学生のときの遅れを取り戻すのも目指して頑張ってきました。
一瞬は、それ全部が否定されたように感じてしました。
でも、確かに私は“頭のいいそれなりの高校”の人と比べれば試験の点数は負けるかもしれないけど、その人たちがわからない「勉強がわからないひとの気持ち」「英語の長文を見た瞬間に眠気に襲われるひとの気持ち」がわかります。
試験の点数だけであの高校を「底辺高校」と切り捨てるなんてできません。
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