親に愛されなかった私には、人に愛される資格はない?後編

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「親に愛されなかった私には、人に愛される資格はない?前編」の続きになります。
まだ見てないという方は前編をお先にどうぞ^^
前回お話したのは「愛されなかったのではなく、愛情を受け取れなかっただけ」という事実を自分の中に作り上げたところまででしたね。

親が子を愛さなかったのではなく、子が親からの愛情を受け取ることが出来なかった。
そういう事実を自分の中で作り上げ、自分の身と心を守ろうとしていました。
だって、そうしないといらない子になってしまうから。
親から愛されない子が生まれてきた理由なんて見つけられないし、だったら「自分が欠陥品だから」と自己完結させてしまったほうが簡単だったんです。
けれどこの思い込みは、私の中に新しい苦しみを植え付けてしまいました。

今日はその「新しい苦しみ」とは何なのか、からお話しようと思います(*´`)

歪んだ事実が生み出した苦しみ

それは、「愛情を信じれない」ということでした。
自分のことを「愛情を受け取る能力がない欠陥品」だと思っていた私にも、愛情を向けてくれる人はいて。
落し物をしたら拾ってくれる人がいて、体調を崩すと介抱してくれる人がいて・・・転んだ私に手を差し伸べてくれる人は、私がどれだけ悩んでも沈んでも、いなくなることはありませんでした。
しかし、それを愛情だと認めてしまったら、私は「愛情を受け取るに値する人」になってしまう。愛情を受け取れる人になってしまう。
そうすると、親の愛情を受け取れなった説明がつかない。「親が悪かった」ということになってしまう・・・。
当時そう感じていた私は、その愛情全てを拒否したんです。
親しくしてくれる人も、陰では私のことを悪く言ってるに決まってる。どうせ全部偽善で、表面だけで、みんな私を愛してなんかいないんだ。だって私は、欠陥品なんだから。
今思えば、当時の私を支えてくれた人たちに悪いことをしたと思います。
表面だけだったのは私だった。愛していなかったのは私だった。
私の未熟さゆえに、たくさんの人を傷つけてしまいました。
しかしそんなことには微塵も気づいていない当時の私にとって「まわりを信じない」というのは、唯一の「生きる術」だったんです。
そのあたたかさを認めたら、私の奥底に眠らせた親への感情がでてきてしまうから。
当時の私には、人からの愛情を信じることができませんでした。

親が全てじゃない。

人からの愛情を信じることが出来ないまま、私は「受け取るフリ」ばかりが上手くなっていきました。
「ココトモ」と出会ったのは、たしかその頃。
ココトモはこのティーンズプレイスの親サイトで、今では掲示板やメールなど様々な相談対応をしているのですが、私が出会った当時はメール相談のみで、私のココトモとの繋がりはメール相談のボランティアの応がきっかけでした。
最初は、自分がのれる相談の種類も少なくて、10代を中心として対応していました。
「鷹れんさんのおかげで楽になれました。ありがとう」の言葉に感謝はしていたけれど信じきることはできないまま、それでも誰かの役に立つということのあたたかさや素晴らしさをひしひしと感じていました。
ココトモでの活動を続けていくうち、ひとりのメンバーと仲良くなりました。
その人と話す中で、私は様々な「気づき」に恵まれました。
「頑張らない」のが落ち着かないなら、9割5分頑張ればいいこと。
信じる/信じないの極論じゃなくて「これくらい信じれる」くらいにはあやふやでいいこと。
自分に向けられたもの全てを受け取らなくたっていいこと。
そして、親が全てじゃないということ。
間違えない人間なんていないということ。
親だからって全てを聞く必要はないし、親に対して思ったことを全て表現する必要もない。
そもそも親ってのは子どもをリードする存在なんだから、子どもと同じ土俵に立ってくる親なんて「バカヤロー!!」くらいに思ってればいいんだ。
そんなことを、その人と話す中で学びました。
今はもう疎遠になってしまったのだけど、元気にしてるかな・・・。
直接教えてもらったことも間接的に学んだこともあるけれど、とにかくかけがえのない存在であることに他なりません。感謝でいっぱいです。
特に「親が全てではない」というのは、私にとって大きなターニングポイントになりました。

親にだって、出来ないことの一つや二つ、百や二百あるもんだ。

それまでの私にとって「親」というのは絶対的存在で、親と子はいわば主従関係でした。
親が正しいと言うものは正しくて、親が間違いだといえば間違いで。
そう考えていた私にとって「親にもできないことはある」というのはすごく新鮮だったんです。
ここで初めて、人に対して「親への気持ち」を吐き出すことができました。
生まれて初めて、自分の中の親に対する感情を認識することができたんです。
私は親を憎んでいて、親が大嫌いで、親に感謝ができていない。
私にも未熟な部分はあるけれど、親にだって未熟な部分はあった。どっちも不器用すぎた。
でも強いて言えば、子どもな私が知ってることなんて親の知ってることの一割分よりも少ないんだから、ちょっとくらい大人な対応してくれたってよかったと思う。
親が私を愛していようといなかろうと、それはきちんと伝わる形ではなかった。
誰かを正当化する必要も誰かを責めたてる必要もなかったんです。ただ、どちらも間違っていたしどちらもしょうがなかった。ただそれだけであることに、私は十年かかりました。
本当に、なんて不器用な人間なんでしょうね。笑
つらいこと自体よりも、「つらいと言えない」方がつらい。そんな言葉があります。
私の場合もまさしくその通りで、親を憎んでいることも親に感謝できないこともつらかったけれど、なによりも、それを認められないことが苦しかったんです。感謝してるフリ、憎んでないフリをすることが、つらかったんです。
だからその感情を素直に認めることができたとき、とても穏やかな気持ちになれました。
大嫌いな人が二人も増えたのに。それは簡単に縁を切るようなことはできない「親」というある種特別な存在なのに。
嫌いになれたことが、幸せでした。

「親から愛されない子」は何故生まれてきたんだろう?

新しい気づきは、私の中にあった「私は愛情を受け取る能力がない欠陥品である」という事実を根底から覆しました。
そもそも、その「愛情を受け取る能力」ってなんだよって話だし、仮にあったとしても「愛情を受け取る能力を育む」のは親の愛情じゃないんでしょうか。
だから私が欠陥品なわけじゃない。やっと、胸を張ってそう考えられるようになりました。
しかし、ちょっと待ってください。
私が欠陥品じゃないなら、つまり親は愛情を注いでくれてはいなかったってこと?

・・・私は「いらない子」?

そもそも親が愛情を注いでくれなかったって・・・それ、「親は子どもに愛情を注ぐもの」という(私の中の)常識が崩れてしまうよ。
混乱しました。
私の受け取り方が間違っていた? 違う。だって私は「欠陥品」じゃない。
親の愛情の向け方が間違っていた? ・・・違う。だってそれが「愛情」だったなら、私がそれを1ミリも感じ取れなかったのはおかしいもの。あれだけ愛情に飢えていた私が気づけないわけがない。
・・・じゃぁ。
そもそも親は私のことを愛していなかった?
「親から愛されない子」
私は新しいレッテルを自分に貼りました。
親に、ひとつきいてみたいことがあります。
親から愛されない子って、どうして生まれてきたんだろうね?
間違って生まれてきちゃったのかな?
私は生まれるべきではなかったのかな?
「親に愛されない子」の生きる意味を見出すには、その頃の私は幼すぎたのかもしれません。
自分の生きている意味が、わからなくなってしまいました。

私は、誰からも愛されない・・・わけがない!

昨日のブログでもちょぴっと話しましたが、私は「自分には愛される資格はない」と思っていました。
それは「親からの愛情さえも受け取れない私が、他の人からの愛情を受け取ることができるわけがない」と思っていたからで、そもそも親からの愛情がなかったと気づいたとき、その思い込みも崩れ去りました。
そもそも「愛される資格」なんて要らないんです。
生まれて、生きている。それだけで充分で、親から愛された子かどうかなんて関係なくて、どんな人であろうと、愛してくれる人はどこかに居るものなんですよね。
私にだって、愛してくれる人はいる。
つい最近まで、それを信じきることは出来ませんでした。
以前ある人と電話をしたとき、そのことに気がついたのです。

きっかけは、「鷹れんファンクラブ」の存在。

これ、自分で言うのはなかなか恥ずかしいものなんですけどね。
しばらく前に、『鷹れんにファンができました。「好き」は「好き」を引き寄せる』というブログをココトモの方で書いたんですが。
まぁ簡単に言うと、私がすごく尊敬している女性の方が、LINEで、「鷹れんちゃんのファン」発言をしてくれたのです!!
そのことをブログにすると、さっそく「のえる」ちゃんという方から

わたしも鷹れんちゃんの大♡ファンです!!!!!!!!

というコメントをいただき、
その後、なんとこののえるさん、私のファンクラブを作っちゃったのです。


鷹れんファンは静かに結束しつつあるようです。
鷹れんファンクラブを作るよー!ときいたときは、冗談っぽく「ファン限定メーリスでも作りますか笑」なんて話していたけれど、
実は、応援したり「好きだー!」と言ってくれる人の多さに、熱さに、ただただ感激していました。
こんなこと、悔しいから絶対言ってやらないけどね。笑
電話をしたときに、こういわれたんです。

ファンクラブなんてものを持っているヤツが、「自分には愛される資格なんてない・・・」なんて言ってたら「愛される資格」を持ってるヤツなんていなくなるよ!

確かに、その通りですよね。
ファンクラブなんてものを芸能人でもないのに作っていただいちゃって、なんてワガママな悩みなんだろうと。
資格云々の前に、信じる云々の前に、ファンクラブなんて「鷹れんを愛してくれる存在」の塊でしかないんだから、まずはそれを受け止めなさい、と。
泣きたくなりました。本当に、嬉しかった。
愛情を受け取る資格を考える必要も愛情の信じ方を考える必要もなくて、ただただ、受け止めるだけでよかったんです。
愛情の存在に。そのあたたかさに。
私は「ファンクラブ」という圧倒的「愛」を目前にしてやっとそれに気づけました。
電話に付き合ってくれた友人A、
ファンクラブに入会してくれている皆さん、
大切なことに気づかせてくれた全ての人に、感謝しています。
感謝してもしきれないくらい、ありがとうでいっぱいです。
不器用な私だけれど、これからも愛し愛される存在であれるよう頑張るので、よろしくお願いします╰(*´︶`*)╯
最後までお読みいただき、有難うございました!
鷹れん

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