私が不登校だった頃、クラスメイトに対しては「逃げてる私を見られたくない」、先生に対しては「信じたのに裏切られた。守ってもらえなかった」などなど・・・心がマイナスな気持ちでいっぱいでした。
その中でもひときわ強かったのが、両親に対する罪悪感です。
「学校に行けていない」自分の弱さがつらかった
学校に行けていない中、両親から「学校に行きなさい」というプレッシャーがじょじょに強くなっていきました。
両親が私のことを思って将来のために発言していたのは当時の私にも分かっていて、だからこそつらかったです。
学校に行けない、できない自分を受け入れてもらえない、と感じたのかもしれません。
両親に愛してもらうには「できる子供」でなきゃいけなくて、真面目で、いい子で、優等生な子じゃないといけない。そんな風に考えていました。
両親を責める気持ちもありながら、両親からの期待に応えられない自分の弱さも責めていました。
本当は両親に笑顔でいてほしくて、家族4人で幸せに暮らしていきたくて、けれどそれを壊しているのは私自身の弱さでした。
両親がいつも険しい顔をして、家族の中の会話がどんどんなくなって・・・父親と母親が喧嘩をする度に、その原因は私なんじゃないかと、私がダメだから、私が学校に行くことさえできない弱虫な子供だからなんじゃないかと、毎晩悩んでいました。毎晩泣いていました。
できない自分が嫌いでした。頑張ればできるはずなのにしようとしない自分が嫌いでした。自分が嫌いなはずなのに「愛してほしい」と叫んでいる自分がもっと嫌いでした。
強くなりたかった。
自分に嘘を吐いてでも学校に行けたかった。
両親を喜ばせられる子供でいたかった。
そう思いながらも、私ひとりぼっちでは、大きな世界をなにも知らない小さな女の子独りではなにもできませんでした。
なにもできない自分が嫌で、どんどん自己嫌悪をして、どんどん「両親への罪悪感」は積もっていきました。
常に上を目指し続けなければならなかった
私の父親はすごく実力主義というか、結果を最重要視するタイプだったんですね。
テストのとき、98点をとって帰ると「あと2点惜しかったね」と言ってきました。
大好きだった趣味の読書やゲームを精一杯我慢して私なりに頑張ってとったものだったのに、その全てが無駄だと言われた気がしました。
次のとき、頑張って100点をとって帰ると「これを続けるのが難しいんだよ」と言われました。
3教科で100点をとろうと、1つ80点をとると「これも100点ならな~」と言われました。
私自身が、一番悔しいと思っていました。
もともとプライドが高いタイプなので、凡ミスで98点だったときも、苦手な科目だけが悪い点数だったときも、悔しくてたまりませんでした。
けれど、それは私が精一杯頑張って、私なりに努力をしてとった点数です。
父親にバカにされてる気がしました。
「たったそれっぽっちの努力で“頑張った”なんて思うな」そう言われている気がしました。
常に上を目指し続けなければならない。
常に努力し続けなければならない。
その思い込みは、どんどん私を苦しめていきました。
「鷹れんは教師には向いていない」夢を否定された過去
苦しむ私にも夢がありました。
学校の先生になること。
中学で不登校に悩んでいた頃から今まで、ずっと持ち続けています。
以前父親と話した時にこんなことを言われました。
「お父さんも教員免許持ってるけど、教育実習の時にそりゃもう泣いてね。生徒との別れがつらくて」
「鷹れんは感受性がすごく強いから、教師は向いてないんじゃないかなぁ」
その言葉に、夢を否定されたと感じました。
母親からも一度「教員は今受け入れが少なくなってるし難しいんじゃない」と言われましたが、受け入れが少ないとしても、生活が厳しいとしても熱意で乗り越える自信がありました。そのくらいの覚悟をもって、夢として掲げていましたから、ショックではあったものの「夢をもつ資格」は奪われませんでした。
それに比べて父親の発言は、私には重すぎたんです。
学校に行けない最中はもちろん、それを克服した後も「一度逃げた私がきちんと仕事に就けるのか」と不安でしかたありませんでした。恐る恐る持っていたところに「向いていない」と言われてしまったのです。
私には、休む資格はおろか、夢をもつ資格さえないのかと。
悲しくなりました。
それから私は、胸を張って「教師になりたい」と言えなくなってしまいました。
「誰かになにかを教えられる人になりたい」「数学と関わる仕事に就きたい」などなど、明確な言葉にはせず、濁すようになりました。
夢を掲げられない私に残された道は・・・
不登校中、苦しみながらも耐えることができたのは、夢があったからです。
今は不登校だけれど、いつか学校の先生になって私のように苦しんでいる子供を助けるんだ。
「苦しい今」は「幸せな未来」の材料になる。
そう思わないと耐えられないほど、苦しんでいました。
そんな、唯一の指標だった夢を奪われた私に、逃げ道はなくなってしまいました。
学校に行っていない自分が生きている意味がわからなくなってしまいました。
未来を奪われた私は今を見るしかなくて、今を見ると苦しいことばかりで、「できない自分」しかいなくて、できない自分は両親から愛されない存在というすりこみがあって、逃げたくてしょうがなくて、けれど逃げ場所はなくて・・・どうしたらいいのか、分かりませんでした。
逃げ道を失った私は、罪悪感に押し潰されてしまいそうでした。
家にとどまることも許されず、進むしかなくなって学校に行きだしましたが、今でも自信をもって夢を語ることはできません。
誰かに褒められても「そうであり続けなければならないのではないか」と考えるクセがついてしまいました。
今でも、両親に対する罪悪感は持っています。
未だにできないことばかりで、それどころか両親を愛することさえできなくて、自立したいと言いながら両親に甘えっぱなしな自分が嫌でした。両親に対する申し訳なさで、未だに涙が出てくることがあります。
こんな私だけれど、あの頃より少しは進めているのかな。
そう思いながら、今日も地道に頑張っています。
最近おもうことがありまして、現在進行形で悩んでいることではありますが、ブログにさせていただきました。
最後までお読みいただき、有難うございました(*´`)♡
鷹れん
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