不登校になった頃の先生の対応~不登校ブログ7~

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不登校シリーズ第7弾です。
今日は、不登校になった頃の先生の対応について振り返ってみようと思います。
私が中学一年生当時に先生といじめや不登校のことについての接点があったのは、

  • いじめられていることを告白したとき
  • 不登校になってすぐ
  • 父親と放課後会いに行ったとき
  • 不登校復帰後

の4回です。
それぞれについて、実際のやりとりや当時思っていたこと、何を望んでいたのか、そして今思うことを書いていこうと思います。

いじめられていることを告白したとき

クラスメイトからの敵意に耐えられなくなって、一度だけ先生に相談したことがあります。
その前から女子トイレで掃除の時間泣きまくったりしていたので、女の子の友達二人がついてきてくれました。

実際の先生とのやりとり

友達と一緒に、放課後先生に会いに行きました。
私は「いじめを受けてるんです」と告白した後、すぐに泣き出してしまったため、いじめの内容や相手の名前などは、すべて友達が説明してくれました。
先生は「わかった。先生に任せなさい」と言ってくれて、私は涙でボロボロになりながらお礼を言いました。
そして先生は当時私をいじめてきていた男子生徒3人を呼び出し、「鷹れんをいじめているんだって。やめなさい」と直接注意をしました。もちろん男子たちはいじめをやめることはなく「お前がチクったせいで怒られた」と、いじめはより陰湿で悪質なものになっていきました。

当時、何を思っていたか

13歳から見た「先生」はとても大きな存在でした。
なんでも知っていて、なんでもできて、相談したらすぐにバッチリ解決してくれるんだ。
相手に嫌だと伝えてもやめてくれなくて、小さな私には泣くことしかできなくて、けれどそれでも、先生なら、大人なら、私を助けてくれるんじゃないか。
どうしようもなく苦しかったけれど、この人なら助けてくれる。この人に頼れば大丈夫。
そんな希望を抱いていました。
先生が直接注意していたことを友達からきいたとき、絶望しました。
直接注意してやめてくれるような人なら、私が「嫌だ」と伝えた時にやめてくれてたんじゃないだろうか? 私が先生に相談したのばれたよね? 休み時間や放課後、ずっと先生が教室にいるわけじゃないよね? ずっと3人を見ていてくれてるわけじゃないよね?
実際にいじめが陰湿になり、先生の見えないところでいじめられるようになって、「あの人なら助けてくれる」という私の中の希望は脆くも崩れ去ったのです。
それから「大人」「先生」は信用できなくなりました。
「大丈夫だよ」「君はもういじめられないよ」って言ってほしかったんです。
いじめられてる、と私が告白してから、先生が「大丈夫?」「どうなった?」「つらくない?」などと声をかけてくれることは一切ありませんでした。
それが「きちんと対応したぜ、仕事したぜ、俺」みたいに思ってるようにしか感じられなくて、そんな人をどうしたら信用できるというのでしょうか。

今、思うこと

きっと、今の私があのときの先生だったとしても、適切な対応をとることはできなかったと思います。
直接注意することは、火に油を注ぐことでしかない。だからといってクラス替えなど大きな動きはできない。しかしなにもしないでいると「あの学校はいじめを放置した」「担任は子供を見捨てた」と言われかねない・・・自分の保身を優先して、その子の心の言葉を一生懸命に聴いたり、その子のことを一番に考えた行動はできなかったと思います。
それでも当時の私は助けてほしかった。
今でもなにが正解かはわからなかったけれど、結果的に先生の行動は裏目に出てしまったけれど・・・放っておかずに先生なりの対応をしてくれたことは、今では(努力賞的感覚で)感謝しています。

不登校になってすぐ

私が最初に不登校になったのは中学一年生の二学期なんですが、ある日父親が学校に行ったとき、テスト用紙を持ち帰ってきました。不登校といえど休学しているわけではないので、テストも当たり前にやってくるんです。
その後自宅で親の監視の下でテストを受け、後日先生が受け取りに来ました。

実際の先生とのやりとり

私はいじめを相談したときのこともあって、先生に会いたくはありませんでした。
ドアを開けて顔を視認した途端気持ち悪くなったのですが、先生は「体調はどう?」「クラスの○○さんがさびしがってたよ」など、気遣いや学校に来させようとする言葉。
会話などのコミュニケーションは私の方からそれとなく拒否し、プリントのやりとりのみを行っていました。

当時、何を思っていたか

とにかく先生が嫌いで、信用できなくて、会うのも顔を見るのも声を聞くのも嫌でした。
もともと「学校」自体はそんなに嫌いではなかったのですが、学校との接点がその先生とのやりとりだけになってしまい、「先生が嫌い」がいつしか「学校が嫌い」になってしまいました。
不登校から復帰するときも、学校に行くときに先生と会うのが嫌で、その気持ちを抑えるのが大変でした。
そして、先生との接点を減らさない親に対しても、「どうしてわかってくれないの」という想いはあったし、それを親に対して表現できない自分の弱さも嫌でした。
とにかくまわりの人や自分自身、すべてのものが嫌いで、消えてしまいたい・・・なんて考えていました。

今、思うこと

素直に「先生が苦手だから他の人に届けてほしい」「先生とのやりとりは親や他の人にやってほしい」などと伝えればよかったと思います。
まわりの不器用さを責めていたけれど、自分が不器用だったからややこしくなってしまったのもあって、結局は全部お互い様だったのかなぁ・・・なんて今では受け止められていますが、当時はすべて他のせいにしていました。きっと、自分の弱さを受け止める強さが足りなかったのだと思います。
その中でも、日々の生活を支えてくれていた親には、感謝したいです。
先生には・・・ごめんなさい、かな。

父親と放課後会いに行ったとき

不登校が長引くにつれて、親からの「学校に行きなさい」というプレッシャーも強くなってきました。
出席数などを親なりに心配してくれていたのだと思いますが、学校が怖くてしかたなかった私にとっては負担でしかありませんでした。
けれど学校に行っていない負い目もあって、結局親からのプレッシャーに屈して、父親と一緒に放課後先生のところへ会いに行くことになりました。

実際の先生とのやりとり

主には先生と父親が会話していて、私はその会話をききながらずっと俯いていました。たまに質問されて答えることはあったけれど、やっぱり親も先生も信用できてなかったのでしょう。

当時、何を思っていたか

当時の私は、二人からの謝罪を望んでいました。
「適切な対応をできなくてごめん」
「声をきいてあげられなくてごめん」
一言そう謝ってほしかったんです。
二人が謝らなかったら、私一人が悪者になってしまう気がしていたんです。
学校に行けていない弱い私が世界においてけぼりになってしまうような気がしていたんです。
先生がちゃんと対応してくれていれば、親がもっと私の話を聞いてくれれば、私は不登校にはならなかった。
先生が悪い。親が悪い。私はなにも悪くない。しょうがなかったんだ。
そんなふうに考えていました。

今、思うこと

学校に向かう途中、父親が「一歩外に出ちゃえば案外平気なもんなんだよな」と言ってきました。私は苦しくてつらくて、学校なんて行きたくなくて、先生に会いたくなくて、けれど学校に行けていない私が悪いから拒否権なんてなくて・・・ってずっとずっと苦しんでいるのに、父親はなにも分かっていない。その現実がやるせなくて、けれど言えなくて、つらい思いを一人で抱え込んでいました。
そんなこともあって、当時の私は完全に先生と親を信用していなかったのですが・・・
今思えば、親の行動はすべて私のためだったし(8割くらいは裏目に出ていたけれど)、先生の行動だって私を責めよう・追い詰めようとするものではありませんでした。
もっと、行動の裏にある気持ちを意識できたら、私自身も楽だったと思います。
・・・まぁ、「行動の裏にある気持ち」なんて、言わなきゃわかんねーだろ! とも思うんですけどね(^^;)

不登校復帰後

家に居場所を失って不登校をやめ、また学校に行きだしたとき、当たり前ですが先生との接点がうまれました。
三学期になったタイミングで登校しだしたので、担任の先生は変わらずあの大嫌いな先生でした。

実際の先生とのやりとり

私のほうからコミュニケーションを拒否していました。
委員会などを決めるときも、なるべく先生と関わらないものを選び、授業中も先生に注意されないようにいい子で過ごし、先生に注目されない程度に目立たないように生活していました。
けれど「先生の視界から消える」なんてできなくて、むしろ「前科もち」な私のことを先生は特に注意してみていたらしく、接点をなくすことはできませんでした。

当時、何を思っていたか

とにかく先生が嫌でした。
「先生のことが信用できない」というのは、本人には勿論親やクラスメイト、他の先生にも言えておらず、自分一人だけで抱えていた気持ちだったので、特に苦しかったです。
他の生徒が当たり前に先生と話している中で、普通に接することのできない私は欠陥品なんじゃないか、みたいな想いもありました。

今、思うこと

とにかく、先生には申し訳ない思いでいっぱいです。
よく声をかけてくれたり、放課後呼び出されたり、先生なりに気を遣ってくれていたらしい行動もたくさんありました。
けれど当時の私にとってそれは「嫌いな人と過ごさなければいけない苦痛な時間」でしかなくて、そう考えていた自分自身を責めていたけれど、今では「だって嫌いなものは嫌いだし。しょうがない。先生ゴメン!」くらいに考えています。

最後に

今回は思いつくままに書いたので、同じようなことを何度も書いていたらごめんなさい(>_<)
結局復帰してすぐまた不登校になって転校したので、その先生と過ごした期間は僅かなものでした。けれど、たとえ短い間でも私にとって苦しいものは苦しかったし、また、先生も先生なりに悩んでくれていたと思います。
当時は私も幼くて、先生も先生として未熟だったと思います。今では、二人とも、少しは立派になれたかな。・・・なんて、生意気でしょうか。笑
次回はのえるさんからリクエストのあった「不登校中に持っていた夢」をテーマにする予定です。
不登校になってつらくて苦しくて悩んでいた私だけれど、ずっと持ち続けていた夢があります。その夢を今も持っているかは・・・ブログでのお楽しみ、ということで☆
最後までお読みいただき有難うございました(*´`)
鷹れん

不登校ブログシリーズ

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