学校のいじめがつらいあなたへ。いじめ被害者から伝えたいこと。

ものを隠される。汚される。無視される。嫌なことを言われる。叩かれる。蹴られる。からかわれる。

いじめ被害から心に消えない傷ができ、今でも苦しみ続けている方や、いじめを受けたことが原因となって自ら命を絶ってしまう子が、この世にはたくさんいます。
わたし自身、小学校・中学校でいじめを受け、長い間苦しんできました。
わたしの周りにも、今現在いじめで悩んでいる方、いじめがきっかけで人を信頼できなくなり悩んでいる方が、たくさんいらっしゃいます。

いじめは、どこにでもある、誰でもかかわる可能性のある、とても身近なものなのです。

目次

いじめ被害を受けたからこそ伝えたいこと

いじめをずっと受けていると、「自分はいじめを受けるようなダメな人間なんじゃないか」「全部自分が悪いんじゃないか」「もう、自分に生きている価値なんてないんじゃないか」と考えてしまうこともあると思います。
いじめを受けた後に誰かに相談した時、「でもそれってあなたにも責任があるよね?」「その程度でいじめなんて甘えだよ」なんて言われようものなら、もう一人で耐え抜くしかありませんよね。

だからこそ、伝えたいです。
わたしは、あなたに生きてほしい。

いじめはつらいです。しんどいです。
生きることを辞めたくなったこと、わたしは何度もありました。
でも、今は思っています。「生きてて良かった」って。

きっといじめを受けている方の中には、「こんな環境を耐えなくてはいけないなんて」と感じる方もいると思います。
いじめを受けた時は、耐えなくていいんです。逃げていいんです。

これっていじめ?いじめの基準を考える

「この程度でいじめだなんて、甘えなのかな……」
そう考える方もいらっしゃるかもしれません。

テレビで流れるいじめのニュースは、想像を絶するほど過酷なものばかり。
著名人が告白するいじめ体験談を読んでも、その先にある光り輝く姿を見ても、「自分とは違う……」と結局自己否定になってしまう。

一般人でもSNSなどで情報拡散できるようになって、いじめや不登校についてもさまざまな人が声をあげられるようになった一方で、「周りと比べる」ことも増えてしまったように思います。

「クラスメイトがちょっと意地悪してるだけじゃないか。気にしすぎだよ」
「もっとつらい状況の人もいるんだから、我慢しないと」
「家族すらいない人だっているんだよ」
このような心無い言葉も、より広く届くようになってしまいました。

では、そもそも「いじめ」の基準はどうなっているのでしょうか。
現在、文部科学省では、以下のように定義されています。

児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。

(引用元:文部科学省|いじめの定義の変遷

なにやら難しそうな言葉が並んでいますが、つまりは

  1. いじめの基準は、本人が苦痛を感じているかどうか
  2. 物理的な被害がなくても、心理的な被害があればいじめになる
  3. インターネット上(SNSなど)での被害もいじめになる

ということです。

また、これまで何度か文部科学省によるいじめの定義は変わっているのですが、平成6年度から「いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」というのは変わっていません。

だから、
「直接暴力を振るわれているわけではないからいじめではないのかな……」
「先生は相談に乗ってくれているし、いじめと言うのは大袈裟かな……」
「周りの人からは“気にしすぎ”って言われるから、いじめではないのかな……」
と気にする必要はありません。

あなたがいじめだと感じたら、周りの人がなんと言おうと、いじめだと主張していいのです。

わたしはずっと「中高生時代に4度のいじめを受けた」と話していますが、実をいうとそれほどひどい状況になったわけではありません。
きっとわたしよりひどい目に遭った人はたくさんいるし、実際に「それでいじめだなんて大袈裟だろ」と言われたこともあります。

いじめを受けたわたしがされたこと

わたしがされたのは、集団での無視、陰口、自分のものを汚される、壊される、クラスの連絡事項を自分にだけ回してもらえない、笑いものにされる、といったことでした。
クラスメートの好きな人を勝手にバラした、なんていわれのない濡れ衣を着せられたこともあります。わたしはそのクラスメートの好きな人なんて知らなかったし、そもそもまともな会話すら何ヶ月もしていなかったのに。

小学生のときは、わたしがいじめの標的だったがゆえに、クラスで飼育していたチャボの卵が潰されました。
自分が悪口を言われたり無視されたりするだけだったらまだつらいだけだったけれど、周りに迷惑がかかると思うと、もう申し訳なくてたまりませんでした。

高校の球技大会あとに取ったクラスの集合写真は、出席した生徒のうちわたしだけが映っていません。
他クラスの友達から「向こうで写真撮ってたよ。れんちゃん行かないの?」と言われたときは、もう惨めで、情けなくて、それを悟らせないために気丈に振舞ったものです。

いじめを受けているって、知られたくない。

こういった「周りに知られたくない」という想いから、孤独に耐えようとしてしまう方も少なくないと思います。
わたしがいじめの相談をしたのも、先生にはいじめを受け始めてから3ヶ月経った頃。家族にいたっては、いじめを受けてから半年くらい経ってからでした。

しかし、そうやって誰にも相談せずに笑顔で振舞っていても、いじめは解決できません。
相変わらずプリントは誰かの靴跡がついているし、クラスの連絡が来ず忘れ物をして先生からは怒られるし、教室に居るだけで「臭い」「汚い」「ブス」と罵られる日々が続きます。

誰か助けてほしい。この暗闇から救ってほしい。
そんなことを思いながら、ずっと助けを求められずにいました。

いじめの相談をするって、すごく惨めなんですよね。
まるで「わたしはいじめを受けるような存在なんです」「クラスメートからのいじめも一人で解決できない弱い存在なんです」って言うようで。

相談したからといって必ずしも味方になってくれるとは限らないですし。
それどころか、もしかしたら甘えだ怠けだと怒られてしまうかもしれません。

そんなことを考えたら、伸ばした手を払いのけられるくらなら、最初からどうせ助けは来ないと割り切ったほうが楽なんですよね。

どうせ、助けが来ないなら……。

自殺が何度も頭をよぎった方は多いと思います。
実際にわたしも、リストカットやアームカットといった自傷行為、OD(オーバードーズ:薬を用量を超えて飲むこと)などは何度もしました。

首を吊ろうとロープを買って、ドアノブにかけて結んで、首に括り付けたまま怖くて何時間も泣いていたこともあります。
ホームで電車を待っている時に、『通過します』という案内を聞きながら、「あ、今あと3歩進んだら、学校に行かなくていいんだ……」と頭をかすめて黄色い線を踏み越え、「お下がりください!」という駅員さんの言葉にハッとしたこともあります。
歩道橋から国道を見下ろし、「今飛び降りたら痛いだろうか、痛みを感じる前に死ぬだろうか」と何時間も立ち尽くしていたこともあります。
自分で自分の首を絞めたこともあります。

「どうせ死ぬ覚悟なんてないんじゃないか」
そう言ってくる人もいました。
実際、わたしが生きているのは、死ぬ覚悟を持てなかったからです。その覚悟があったら、きっとどこかのタイミングで自ら命を絶っていたでしょう。

しかしわたしが、生と死の狭間にいながらも踏みとどまったのは、「祖母の自殺未遂」があったからです。
祖母は、わたしが小学校4年生の時に自殺未遂をしました。
第一発見者はわたしでした。

場所は、わたしたちが暮らしていた家。祖母は一人で来ていました。
使われたのは、当時母が使っていた剃刀。後日母は、「あのまま死んでいたら私が疑われていた!」と言いました。
結果として一命をとりとめ、現在も元気に過ごしています。

「よかった」
心底そう思いました。

正直わたしは祖母のことが苦手で、ほとんど会話をしたこともありません。
それでも、生きていてくれてよかったと、助かってよかったと感じました。

「私もう死ぬ」そんなメールを残して連絡が取れなくなった友人がいます。
家族の連絡先も分からず、彼女がいまどこでどうしているのかを知る術はありません。

一度、人の死に直面してしまったら、「自分から命を絶つ」なんて、できません。
それほどまでに、「死」というのは、ショックの大きい出来事だったのです。

だからどうかあなたにも、生きてください。
死ぬ以外のことだったら、逃げても辞めても何してもいいから、どうかその選択肢だけは、取らないでほしいと思います。

いじめがつらい時、真っ先にしてほしいこと

特に学校は閉鎖的な空間なので、いじめがあってもなかなか周りの人たちに気付いてもらえなかったり、被害に遭っている人が言い出せなかったりして、解決しにくく、悪質化しやすい傾向にあります。
だからこそ、もしもいじめを受けたら、一人で抱え込もうとせずに、周りの人が気付けるよう働きかけることが大切です。

もしかしたら、助けを求めた先で、その手を払いのけられたこともあるかもしれません。
「甘えだ」「もっとつらい人もいる」「自分はいじめを受けたけど耐えた」
そんな言葉を受けてしまったら、もう相談しようだなんて思えませんよね。
いじめを受けるのはつらいけど、それで助けを求めた手が空を掴んでしまうほうがよほどつらいものです。

でも、いじめを受けたわたしだからこそ言えます。
あなたを助けようとしてくれる人は絶対にいます。
それは、親御さんや、保護者の方かもしれません。先生かもしれないし、クラスメートや友達かもしれない。ネットの向こうにいる誰かかもしれません。
絶対にいます。絶対に。

だからどうか、諦めないでほしいんです。
あなたのことを「いじめを受けてもしかたない人間」「助けられる価値なんてない人間」にしないでください。

いじめって、相談しづらい。そんな時は、ネットにも目を向けてみて。

でもいじめって、相談しづらいですよね。
「いじり」や「いじわる」との境界線はなんだかあやふやだし、テレビで流れる「いじめ」は、それこそ命の危険があるようなものばかり。
それに比べたら、自分が受けているのを「いじめ」なんて、大袈裟なんじゃないのかな……。

わたしは、よくそう考えていました。
それで、3ヶ月耐えました。誰にも相談せずに、ひとりで苦しさを抱えていました。

だからこそ、あなたには「誰かに相談してみてほしい」と思います。

誰かにとっては、あなたが受けているそれは「いじり」かもしれません。
やっている張本人からしたら、ちょっとした「意地悪」のつもりかもしれません。

でも、受けているあなた自身が「いじめ」だと感じたのなら、それはもういじめだと言っていいんです。

友達や家族に相談しづらいなら、今はネット上でも相談できる場所がたくさんあります。

もちろんわたしたちに相談してくれても大丈夫ですし、以下のページにはいじめや学校についての悩みを相談できる団体・サイトなどをまとめました。
あなたが助けを求めている時、あなたの力になりたいと思う人がいる、ということだけは覚えていてくれたら嬉しいです。

いじめ・不登校相談先一覧

いじめ・不登校で悩んだ時、家族や友達にはなかなか相談しにくいですよね。 しかし、一人でいると、「いじめられる自分に原因があるのではな......

いじめがつらい時の3つの対処法

とはいえ、なかなか相談できない時もありますよね。
そんな時には、以下の方法を試してみてください。

1.いじめを受けてつらい気持ちを書き出してみる

いじめを受けた時の、つらい、悲しいといった気持ちをずっと心の中に仕舞っておくのは大変です。
だからといって誰かに話すのは、否定されてしまわないかとか、いろいろと考えてしまいますよね。

そんな時は、紙とペンを用意して、つらい気持ちをひたすら書き出してみてください。
なんでもかまいません。言われてつらかった言葉でも、相手に対する罵詈雑言でも、本当はこうしてほしかったという思いでも、なんでも大丈夫。
重要なのは、自分の気持ちに嘘を吐かないことです。

紙にいくら書いたって否定されることもバカにされることもないのですから、遠慮なく書いてしまいましょう。
すっきりするまで書いたら、破いて捨ててしまってください。
そうすることで、気持ちを心から「離す」ことができるはず。少し楽になると思いますよ(*´`)

2.いじめがつらいなら学校を休む

どうしてもつらいなら、そんな場所に無理に行く必要はありません。
わたしはいじめを受けている時、なかなか周りに打ち明けられず、だからといって学校に行くのもつらくて、何度か仮病で学校を休んだことがあります。

仮病を使う、嘘を吐くなんて、本当はしないほうがいいに決まっています。でも、いじめは命にかかわる問題です。
生きるのが嫌になってしまうくらいなら、仮病のひとつやふたつ、どうってことありません。なんてこと、大きな声では言えませんが(笑)

家族には言いにくくて家に居るわけにはいかない、という方もいらっしゃるでしょう。
そういう時には、ぜひ図書館に行ってみてください。
図書館といえば、数年前に鎌倉市の図書館がTwitterで子供たちに呼びかけをしていて話題になりましたね。
詳しくは、ブログ「学校に行かない子供の行き場所はあるのか?鎌倉市立図書館のツイートから考えること」を書く予定ですので、そちらをご覧ください。

学校を休むのもひとつの選択肢。
そう心に留めておくだけでも、少し楽になる部分はあるのではないでしょうか(*´`)

3.学校以外の居場所をつくる

いじめを受け、毎日毎日嫌がらせを受けたり誹謗中傷されたりしていると、「本当にそういう人間なんじゃ……」と思えてしまうこともあると思います。
そんな時、それ以外の「居場所」がひとつあるだけで、随分と気の持ちようが違ってくると思うんです。

わたしがいじめに遭った時、つらくて苦しくて、それでも耐えられたのは、「ボランティア先」という居場所があったから。
小学生の時から、自治体や学校の取り組みに積極的に参加していたわたしは、ボランティア活動にも多く関わってきました。
いじめを受けた頃も、それは同じでした。
近所のお祭りの手伝いをしたり、児童館で子どもたちの面倒を見たり、帰国子女や外国人のお子さんに日本語を教えるボランティアをしたり……。

学校では、菌扱いをされ、無視され、笑われ、物を隠され、散々な目に遭っていましたが、ボランティア先では違ったんです。
「すごいね」「ありがとう」「助かる」、そんなあたたかい言葉をたくさんかけていただきました。

もちろん、ボランティア活動でなくてもかまいません。
高校生ならアルバイトもありますし、習い事に熱中するのでも、サークル活動や部活動に取り組むのもいいでしょう。

複数の居場所があると、どこかでうまくいかない時にも、他のどこかが救いになってくれます。
「学生は学校に行くべき」なんて考えなくていいから、ぜひいろいろなところに足を運んでみてくださいね。

今、いじめを受けているあなたへ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この記事が、少しでもあなたの心を軽くできていたらなによりです。

学校や友人関係がこの世界の全てだと思い込みがちだけど、そんなことは全く無いから、病んだり死を選んだりするくらいなら、学校なんてまじ行かなくていいから

(引用:家入一真 オフィシャルサイト|学校から逃げる

これは、起業家である家入一真氏が、中学生向けの講演をした際に言った言葉です。

いじめを受けていると、まるで世界は自分の敵しかいないように感じてしまうことがあると思います。
こんな世界でこれから何年も何十年も生きていかなければならないと思うと、もう嫌になってしまいますよね。

その気持ち、少しだけど分かります。
かつてはわたしも、あなたと似た立場でした。

だからこそ、気安く「大丈夫だよ!」なんて言えません。
「がんばって」「いつかは終わるから」そんな励ましの言葉が、どれほど人の心を締め付けてしまうかを、わたしは身をもって知っているから。

がんばってって、今でもがんばっているのに後何をすればいいの?
いつかは終わるって、クラス替えも転校もできず、終わるまで耐えなきゃいけないの?
そんなの、苦しすぎる。こんなに苦しいなら、もういっそ――……。

そんな考えが頭をよぎることもあるでしょう。
その時、もう人生を辞めてしまおうかとあなたが感じた時、どうか誰かの顔が浮かぶことを願います。

あの人に話してみようか。あの人に聞いてもらおうか。あの人に助けを求めてみようか。
誰でもいいです。家族でも友達でも先生でも、わたしたちでもいい。

嫌な場所からは逃げていいから。
そんな過酷な状況で耐えようとしなくていいから。
どうか、どうか。生きてください。
わたしは生きて、あなたと話がしてみたいです。
その想いが叶うことを、願ってやみません。

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