- ※このインタビューはフリースクール「Riz」との共同制作記事になります
- 学校での居場所のなさなどで苦しんでいる中高生たちへ向けて、不登校経験者たちに当時~今に至るまでの話を伺う「元不登校生インタビュー」。
今回は、小学生の頃から不登校だったという「ぷらどん」さんに、お話を伺いました。
―—まずは自己紹介から、お願いします。
ぷらどんです。
今年、41歳になりました。
不登校だったのはもうずいぶん前のことですが、不登校になってもこうやって生きているんだよってことを伝えたいです。
―—今回は、不登校だった時のことだけでなく、その後の生活などについても伺えればと思います。よろしくお願いします。
今苦しんでいる子たちの役に立てればと思っています。
よろしくお願いします。
不登校になったきっかけはいじめだった
―—不登校になったきっかけをお伺いしてもいいですか?
不登校になった原因はいじめです。
小学校1,2年生の頃、トイレが我慢できずにもらしてしまったことをきっかけにして、バイ菌扱いされるようになりました。
相手をしてくれる人がクラスからいなくなって孤立していった上に、性格もふさぎこんで、人と接することができなくなったんです。
それで、小学校5年生ぐらいから不登校になって、中学校はほとんど行っていません。
―—当時は、どんなことを感じていたのでしょうか。
いつから行っていないか、とかは正直あんまり覚えていないんですが、「なんで学校に行かなきゃいけないんだろう」と考えていました。
当時は登校する時に地域の子何人かで班を作っていたんですが、その登校班の集合場所が自宅の目の前だったんです。
人が集まってくるのを見ると、外に出られなくなりました。
俺、なんであそこに行かなきゃいけないんだろう、なんで学校に行かないといけないんだろう、とずっと考えていましたね。
それを毎日繰り返して、気が付いたら外に出ることもできなくなりました。
だから当時は、不登校になると同時に、引きこもりにもなりました。
―—家では、どんな生活をおくっていましたか?
部屋に引きこもって、元気な時はゲームしたりテレビ観たりして過ごしていました。
それ以外の時間は、正直死ぬことしか考えてなかったです。
まるで無間地獄みたいに、毎日、部屋で繰り返し考え続けていました。
学校に行くことは俺にとってはあり得なかったし、部屋から出るという選択もできなかったです。
「いつまで生きているんだろう」って、小学校5,6年生の時には考え始めていました。
自殺を止めたのは、姉の自死だった。
―—そこまで死にたいと考えていたのに、一線を越えなかったのはどうしてでしょうか。
中学校を卒業したら死ぬつもりで、日にちも決めていたんです。
15歳の、3月くらいかな。
当時、2つ上の姉がいたんですが、姉も中学校でいじめられて不登校・引きこもりになっていました。
卒業式の2週間前、その姉が、自殺したんです。
最期、母親を通して遺した言葉が「後のことは俺に任せる」で、その言葉を聴いたら、死ねなくなりました。
だから、死ぬのをやめたわけではなく、「死ぬ」という選択肢を消すほかなかった、という印象です。
それで、今まで生きてきました。
―—お姉さんのことは、弟としては驚きましたか。それとも、考えていたことだったのでしょうか。
同じ境遇にあったから、驚きよりも、「先を越された」というような感情が大きかったですね。
普通は、悲しいとか思うかもしれないけど、心の底から「お疲れ様」という言葉しか出てこなかったです。
つらさも分かるし、その道しかなかったのも分かるから。
―—お姉さんに関して、何か印象に残っていることはありますか?
姉に関して、後悔していることがあります。
当時、姉とは喧嘩ばかりしていたんですね。
本当は、同じ境遇だから分かり合えることも多かったはずなのに、お互いに精神的に不安定で。
謝ることもできないまま、何もできずにここまで来てしまいました。
でも、今も昔も、「とにかくゆっくり休んで」という気持ちしかないですね。
「自分のやりたいように生きるしかない」少しずつ開き直れるように
―—その後どうされたのか、教えていただけますか?
生まれ変わったと思うぐらい、変化がありました。
17歳くらいの時、小中学校時代の同級生とたまたま顔を合わせる機会があったんです。
少し話したら「ものすごく明るくなったよね」と言われて、それで自分でも気が付きました。
そうじゃなかったら、こうやって話もしていなかっただろうし、自分の経験を役立ててもらおうとも思わなかったと思います。
―—具体的に、どのような変化だったのでしょうか。
いろいろあるけど、一番は開き直ったことなんだろうなぁ。
当時は、何をするにも考え込んで、結局行動できないことが多かったんです。
こういうことをしたら誰かを傷つけるんじゃないか、誰かが嫌な気持ちになるんじゃないか……、ということばかり考えていました。
でも、何をどうやったってそう感じる人はいるから、自分のやりたいように生きるしかないんですよね。
誰に見られてるかなんて考えない、って少しずつ開き直れるようになっていきました。
―—その後は、いかがでしたか。
一応、高校は卒業しました。
でも中学校の内申書はボロボロで、私立か定時制の高校しか選択肢がなかったんです。
通信制もあったけど、自宅で自習するとか考えられなくて、自分は卒業できないなと感じて選びませんでした。
引きこもっていた時はまったく勉強していなかったんですけど、親が家庭教師をつけてくれて、高校浪人をしました。
1年間アルバイトをしながら勉強して、最終的には定時制高校に進学しました。
自分としては、一番良い選択だったなと思っています。
高校進学で、やっと自分に合う環境が見つかった
―—定時制高校の、どんなところが良かったのでしょうか?
定時制高校って、いろいろな人がいるんです。
どの高校にも受からなくて来た人もいたし、自称・ぴちぴちの女子高生だという60歳の先輩もいて。
その先輩が、すごくキラキラしていたんですよね。
他にも、日本語教室があったので外国人の人が7人くらいいて、年齢層も10代から50代まで、訳が分からないくらい多様な人がいて。
定時制の、そういうごちゃまぜ感って言うんですかね、「なんでもあり!」って環境が自分にとってはすごく面白かったんです。
普通の高校に通うのは、当時も今も想像できません。
―—そういう環境だと、多少違いがあっても目立たないから馴染みやすそうですね。
高校8年目、なんて人もいましたよ。
なのに、すごく頭が良いんです。
当時、俺は数学が好きで、誰にも負けないと思っていたんですけど、その人の足元にも及びませんでした。
「なんであなたが高校8回やってるの」って感じでしたね(笑)
―—1年間で遅れを取り戻すなど、勉強は大変じゃなかったですか?
実は中学2年生の時に、1ヶ月くらい学校に行っていた時期があるんです。
数学で、まず「x」が分からなくて。
先生に教えてもらったらなんとか理解できて、テストでもそこそこの点数は取れてましたね。
手遅れ感はすごくあったし、良い高校に入ろうと思っていたら難しかったと思いますけど、生きる分には困らないくらいにはできていました。
ただ、今でも漢字が書けないのはちょっと困りますね。
英語は中学1年生の時に洋楽にハマったのがきっかけで、歌詞カードとかを見ているうちになんとなく分かるようになりました。
高校卒業時の成績が5段階評価で「4.6」だったので、真面目に勉強していたらどのくらいまで行ってたんだろう、とかはちょっと考えることもあります。
―—中学校に行こうと思ったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
すごくネガティブなんですけど、「どうせ死ぬし、ちょっとくらい行っておこうかな」って思ったんです。
このまま死んだら、誰も俺のことを覚えていない。
それが少し悔しくて、ちょっとでも俺のことを知っている人を増やしてから消えたほうがいいと考えました。
クラス委員長が毎日迎えに来てたのもあって、ちょこっと行くようになりましたね。
でもそれも1か月くらいなので、中学3年間で30日間くらしか行っていないと思います。
父が他界したことをきっかけに、人生の迷子になった
―—高校は、問題なく卒業できましたか?
19歳の時、大工をやっていた父が病気で休職したんです。
授業は夜間だったのでもともと昼間は働いていたんですが、1年間休学して働くことに専念しました。
でも、その時に事故に遭って、3ヶ月ほど入院して。
退院した1週間後に、父が心筋梗塞で他界したんです。
高校卒業したら父と一緒に働こうと思っていたので、何をしたらいいか分からなくなりました。
―—それはつらいですよね……。
今思えば、誰かのために生きようとしたのが間違いだったんでしょう。
中学生の時は姉のためにと考えていて、姉が亡くなった後は親父のために生きようと考えたんです。
でも、それが間違いでした。
自分のために生きないといけなかったんです。
「誰かのために生きる」なんて、その相手にとって失礼なんですよね。
―—高校卒業後のことについて、教えてください。
完全に人生の迷子になってけど、高校はなんとか卒業しました。
しばらくフリーターやった後は、当時の恋人のお父さんに紹介してもらった個人経営の工場で働き始めました。
でも2年ほどしてから、「自分は何をやりたいのか」を改めて考えてみた時、「俺は車の板金塗装がしたい」って思ったんです。
車も好きだったし、大工だった父の影響もあって職人仕事が好きでした。
それで塗装の仕事を3年やったんですが、次は塗装アレルギーになってしまったんです。
続けたら命に係わるほどで、うつ病にもなって、仕事ができずに退職しました。
―—やりたいことだったのに残念ですよね。その後は、どうされたんですか?
派遣で工場の仕事をしたり、病院の手術室の清掃責任者をやったりしたんですが、その頃に震災があって、それをきっかけとして退職しました。
それで友達から復興支援事業、NPOの立ち上げに誘われて一緒にやったんですがうまくいかず、地元に戻ってきましたね。
それからは物流関係に携わるようになり、大型トラックの仕事に落ち着きました。
身体的にも精神的にも楽で、自分にとっての天職だと思っています。
天職を見つけ、好きなことをして生きられるように。
―—なぜ、物流関係に関わろうと思ったのでしょう。
実は、20代の頃からこの仕事は合うだろうなとは感じていたんです。
当時はまだ早いと思ってやらなかったんですが、震災を通じて物流の大切さを改めて感じて、未経験だったけど飛び込みました。
―—物流の仕事は体力的に大変ではないですか?
どんな仕事でも、合わない仕事をやらされていると大変だと思います。
俺は、天職を見つけるには「お金をもらわなくてもやれること」をするといいと思ってるんですけど、物流の仕事がまさにそれなんですよね。
ドライブして、趣味でお金をもらっているような感じです。
趣味で1日20時間ぐらいドライブする時期もあったので、仕事が苦になることはありません。
レンタカーの回送の仕事もしていたんですけど、家に帰ってきてまた車で出かけるようなこともしていました。
―—それはすごいですね。今後、仕事に関して目指しているものはありますか?
根っからの職人気質なので、正直出世とか役職には興味がありません。
だから今は、大型トレーラーに乗りたいと思っています。
初めて就職したところを辞める時、いつか使うだろうと思って免許は取っておいたので、いつか乗りたいですね。
―—20代の頃から気づいてたということですが、なぜ当時はその道を選ばなかったのでしょうか。
人間的に成長できないだろうなと思ったからです。
物流関係、特にトラックの運転とかを始めると、一人でいる時間が増えて、人と接することがなくなるんですよね。
ただでさえ人と接する機会が少ないまま育ってきたので、ちょっとそれは良くないなと思いました。
実際、他の道を通ってから選んで正解だったなと思っています。
―—具体的に、良かったなと感じる出来事はありましたか?
塗装の仕事をしていた時の上司とは、もう辞めてから10年以上経つんですけど、未だに連絡を取り合っています。
人生で一番尊敬している上司で、出会っていなかったら自分自身の性格もがらっと変わっていたかもしれない。
そのぐらい、人生に多大な影響を与えた人でしたね。
―—一つひとつの経験が、今のぷらどんさんの糧になっているんですね。
今悩んでいる中高生、そしてその保護者の方へ伝えたいこと
―—今、不登校などで悩んでいる中高生へ、メッセージをお願いします。
まず間違いなく、学校に行かなくても死なないから平気だよ、ということは伝えたいです。
選択肢は、いくらでもあるはずです。
義務教育に対して、すごく疑問があります。
小学校・中学校は義務教育、でも行きたくない、行けない……。
「行かなくていいんじゃない」って思います。
選択肢の中には、フリースクールもあるし、図書館で勉強して進学した友達もいます。
自分で選べる選択肢は、いくらでもあるんです。
「学校行かない=人生終わり」という縮図になってしまっている気がするんです。
そうではなくて、もっとフリースクールとか、こういう場所を活用する人が増えたらいいなと思います。
―—保護者の方に、何か伝えたいことはありますか。
1個だけ。
不登校で、「学校行きたくない」ってくすぶっている子に、1つだけ言ってほしいことがあります。
「学校に行かなくていいよ」って伝えてあげてください。
それ言われると、本当に楽になるんです。
行かなくてもいいんだ、って思えるんです。
子どもが学校に行くことが一番大切なわけではないと思うんです。
一番大切なことを、子どもともう一度話し合って、考えてみてもいいんじゃないのかな。
学校に行くだけが人生ではないです。
最近だと、発達障がいで高校に行けなかった15歳の男の子が、コーヒーの焙煎所を開いた話もあります。
そういう選択肢も必ずある。
学校に行かなくても人生終わりません。
子どもが学校に行っていないことをまったくマイナスとして捉えなくても大丈夫だから、子どもの選択肢も、できれば子どもも、親御さんも、一緒に考えてみてほしいです。
不登校の子は、もしかしたら親御さんとはあまり話をしないかもしれません。
でも、「学校に行かなくていいよ」という一言から、何かが始まるんだと思います。
魔法の言葉です。
―—貴重なお話しをありがとうございました。
- ◆ぷらどん
- 神奈川県出身、41歳。
不登校・引きこもりを経験。自分が普通に生きることが、不登校経験者の希望になると信じてます。
今の目標は、男性の服装の選択肢に着物が含まれるくらい、着物を一般的なものに戻すこと。着物と珈琲、猫が大好き。
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