親を幸せにする責任

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いつか親に恩返しをしたい。
親にお世話になった分だけ、親を幸せにしたい。
そんな言葉をきくことがあります。
とーってもステキなことだと思います。
けれど今の私には、その感情を持つことが出来ません。正確には、出来なくなりました。

「親を幸せにする責任」について私が想うこと

まずは、私と親の関係について少しだけ。
私・鷹れんは中学のとき計半年以上の「不登校」期間がありました。その間、親の「学校にいってほしい」プレッシャーだったり学校に行けていない罪悪感だったりでどんどん私は閉鎖的になっていき、やがて両親に相談したり弱音を吐き出すことをしなくなりました。
そんな私にとって「家族」というのはあまりいいイメージのある言葉ではなかったし、「家」は決して安心できる居場所ではなく両親に気を使うだけの場所でした。
当時は、親を好きだと言えない自分がおかしいと思っていて、「親の言うことが100%正しい」と考えていたため、苦しくてしょうがありませんでした。そんなこと誰にも相談できなかったし、「親の言うことが全て正しいわけではない」と気づいたのは高校二年生の頃。
「親には感謝しなさい」「親に恩返ししたい」そんな言葉をきくたびに心が張り裂けそうでした。
育ててもらったことには感謝しています。衣食住は保障されていたし、自分が通いたいと思った大学に通わせてもらっているし、今でも両親のスネをかじっているし、そういう面では非常にお世話になったと思っています。
けれど、親を愛することは、今の私には出来ません
今ではそれはそれでしょうがないと割り切っているけれど、それが出来るようになったのはつい最近のことです。高校生のときは「親を愛せない」「親に心の底から感謝することができない」というのが申し訳なくてしかたありませんでした。心は罪悪感やら自己嫌悪やらでいっぱいで、いつ溢れだしてもおかしくないくらいでした。
今思えば、その当時は「親を幸せにする責任」を負おうとしていたのだと思います。
今は私が親に面倒を見てもらっているけれど、いつかは私が親の手助けをするようになる。時代やら働き手やらを引き継いで、引っ張ってもらう側から引っ張る側になる。・・・そんなことを考えて、勝手に「親を幸せにするのは子供の役目だ」なんて感じていたんです。
でもそれって、実際は「傲慢はなはだしい」ですよね。
他人の幸せ背負うなんて、できません。ていうか、ただのひとりの人間に背負えるもんじゃないと思うんです。

自分を幸せにするのは自分。

私は「他人に幸せにしてほしい」とは思いません。
そもそも幸せの尺度なんて人それぞれです。どんなときに幸せを感じるのか、どんなことを人生の軸に置いているのか、それは本人にしか分かりません。
「親を幸せにしなきゃ!」と気負っても親にとっての「幸せ」がどんなものなのかは私にはいくら考えても分からないのです。
逆に「親が幸せにしてくれる」とか「誰かが幸せにしてくれる」なんて考えてもしかたないし、自分の幸せは自分で責任をもつしかないのです。
世の中にはいろんな親がいるから、中には「こんだけ面倒見てやったんだから尽くせ!」みたいに言ってくる人もいると思います。
「老後の親の面倒を見なければ」「これからの人生をつかって親に奉仕しなければ」と感じてしまう方もいるかもしれません。
しかし、その責任を負う義務はないのです。
親へ恩返しをしたい。その気持ちも大変素晴らしいものだけれど、ひとつだけ覚えておいてほしいのは「親へ恩返し」だからといって「親に直接やればいい」ってわけでもないってことです。
私はまだ「子供」の立場しか経験していないのでえらそうなことは言えませんが、いろんな方のお話をきくと、「元気にしてるのが一番の親孝行」と考えてる方が多い気がします。
親の人生は親のものだし、自分の人生は自分のものです。
子供が親の代わりに人生を歩む必要なんてないし、そもそもそんなこと出来ません。
自分のちからは、自分の幸せのためにつかいましょうね。
鷹れん

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