ちいさな幸せ

普段生活していると、なかなか気づけない「ちいさな幸せ」というものがあります。
昨日、急遽友人宅に泊まらせてもうらことになりまして。ぐーっすり眠って朝ごはんまでいただいちゃいました。
会って、ハグをして、嬉しくなって、切なくなって。楽しい話をして、真剣な話をして。
当たり前にLINEや電話で連絡をとれること。あたたかいこたつでまった~りできること。人の前で涙を流せること。今日、生きていること。
ひとつひとつが幸せで、かけがえのない宝物。
そんなあたたかい気持ちが、その子と話していてうまれました。
気づくと、普段気づかない瞬間のことを「もったいないなぁ」「申し訳ないなぁ」と考えたりもするけれど、普段気づけないからこそ気づいたときには幸せを感じられるんだろうなぁとも思ったり。
きっと、その分気づいたときに感謝をすれば、いいのだと思います。

不幸せがあるから、幸せがあるのかもしれない

世の中には「幸せしか感じてこなかった人生」というものは存在しないと思っています。
量の違いはあれど、きっとどんな人もその人なりの悩みやつらさを抱えながら、それと同時にその人なりの幸せや嬉しさを持っているのかなって。
まわりから見れば、その悩みは贅沢に見えるかもしれません。その幸せは当たり前のものに見えるかもしれません。
でも、不幸せや一見「無ければいいのに」と感じるような感情・出来事がなーにもなかったらきっと人は成長をやめてしまうと思うし、それ以前に「必要なもの」も見えなくなってしまうと思うんです。
それと同時に、幸せや一見「これだけならいいのに」と感じるような感情・出来事がなーにもなかったら、人はきっと生きるのをやめてしまう気がします。そんな人生、つらすぎるもの。「いつか、これまでの分も幸せになれるから」と希望を持てるのは、「幸せ」というものを知ってるからだと思うのです。きっと本当に幸せを知らない人は、「幸せになれるから」という希望さえないのだと思います。「今」が普通だから。幸せも不幸せもなくて、ただ「今」だから。
それはそれで、ひとつの生き方なのかもしれません。生半可な期待や希望を持ってしまうより、最初から「幸せ」なんて知らないほうがかえって幸せなのかもしれません。
でも私は、もう幸せを知ってしまったから。
「ちいさな幸せ」の大きさに気づいてしまったから。
きっとこれからも「いつか、これまでの分も幸せになれるから」と希望をもつ日があるのだと思います。その分の不幸せもまるっとひっくるめて抱えながら。
これまでの”不幸せ”すべてに「幸せを教えてくれてありがとう」なんて言うことはできないけれど。
不幸せがあるからこそ幸せを感じれるのだな、と考える夜でした。
いつもありがとう。愛しています。
鷹れん

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