本当のつらさは、体感しないと分からないものかもしれないね。

いろんな人と出会い、繋がっていくと、「考え方」「視点」というものの多さに気づかされます。
悩みも、楽しみも、癒しも、好みも、嫌いなものも、人それぞれ。たとえ悩みのカテゴリー(「人間関係」とか「恋愛について」とか)が同じだとしても、その人に必要な環境や求めている言葉は違うんですよね。
「不登校で悩んでいる」ことが同じでも「また学校に行けるようになりたい」のか「学校以外の生き方を模索したい」のか、はたまた「とにかく今は休みたい」のか・・・どんな手段で、どの方向に進んだらいいのか、それは本人にしかわからないことなんですよね。
それが失恋の悩みでも、友達関係の悩みでも、親との悩みでも、どんな悩みでも同じこと。悩みでなくても、同じこと。
私は、誰かの悩みや人生に触れるときは常に「想像すること」を心がけています。善意のつもりで言った言葉が相手にとっては刃になる・・・なんてことのないように、常に自分のもつ想像力をフル回転!!
しかし、100%傷つけないことは出来ません。(一般的には)褒め言葉の「大人っぽいねぇ」「頼りがいがある」なんて言葉は、数年前の私にとっては「自分を追い詰める言葉」でした。今は素直に嬉しいけれど、無理して大人になるしかなかった私にとってそれらの言葉は「より大人っぽくあらねばならない」「子供っぽいことはしてはいけない」など、言ってしまえば「脅迫」とも感じられてしまうような言葉だったんです。
もちろん相手はそう受け取るなんて知らないし、きっと善意で言ってくれていたのだと思います。相手が悪いなんてことは微塵もなく、ただ私の受け取り方と相手の伝え方にすれ違いがあっただけです。
いくら想像力を働かせても、大なり小なり「すれ違い」というものは起こってしまうものだと思います。
不登校がコンプレックスだった私にとっては「学校に行けている」「学校に友達がいる」ってことはすごくうらやましいことだったけれど、もしかしたら相手は「本当は行きたくないから行っている」のかもしれないし、だとしたら「行きたくないと素直に言えている自分の状況」がうらやましいかもしれない。そうじゃなくたって、きっとみんな、悩みや苦しみのひとつやふたつは胸のうちに抱えてるのではないでしょうか。それが子供か大人か、なんて関係なく。
結局自分は自分からの目線でしか物事を捉えることはできません。
知らないものをいくら考えてもいくら想像しても、分からないものは分からないし間違える事だってあります。
人を100%傷つけない方法なんてありません。たとえ人とのかかわりを避けたとしても、人とのかかわりを避けることで傷つく人がいるのかもしれません。
大切なのは「傷つける可能性があるとちゃんと知っておくこと」だと思います。
いくら想像しても、相手には、私が知らない苦悩や過去がある。いくら考えても、私の言葉を受け取る相手によって、言葉の意味は変わってしまう。
だから避ける、ではなくて。だから、想像する。だから、考え続ける。関わり続ける。
間違えたら謝る。そして「この言葉はこう受け取られる可能性もあるんだな」って想像の糧に加える。その繰り返しなんじゃないでしょうか。
「傷つける可能性」を無視しないで、見てはいけないもののように蓋をすることもしないで、しっかりと見て、そして生きてゆく。そういうものだと、私は思うのです(*´`)
鷹れん

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