あたたかい涙

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最近、何故だがよく泣きます。
以前もらった手紙を読み返しては泣き
ドラマを観ては泣き
小説を読みながら泣き
思い出を思い返して泣き
とにかく泣いています。
一日一回以上は泣いています。
何故こんなに泣いているのか、どれだけ泣いたら私の涙が枯れるのかはよく分かりません。
もともと涙脆いほうではありますが、最近は拍車がかかっています。
年をとると涙もろくなると言いますが、私はもうそんな年なのでしょうか。笑
けれど、以前の涙と今の涙は、違う気がするのです。
あたたかい涙
別に、「涙がぬるま湯」とかじゃないですよ。
そういう物理的な話ではもちろんなくて、なんていうかね、あったかいんです。
誰かの幸せを願って。
誰かの愛情を受け取って。
誰かの努力が報われることを祈って。
誰かの傷を少しでも癒したくて、私は泣きます。
以前は
やるせない過去を悔やんで
つらくて苦しくてどうしようもなくて
孤独な夜に怯えて
どうしようもない今という現実に打ちひしがれて、私は泣いていました。
もちろんあたたかい感情で涙することもあったし、今だってつらい涙を流すこともあるけれど、過去は圧倒的に「つらい」「悲しい」「苦しい」のほうが多かったです。
何故なのか。
正直わかんないです。
確実に分かるのは「本気で人を想うようになった」ということでしょうか。
なにかの番組で、「泣けるのは他人事だから」みたいな話をきいたことがあります。
自分のことや親族に起こったことでは、人は泣けないんですって。
それが100パーセントとは言わないけれど、あながち間違いじゃないと思います。
といっても「つらい」「悲しい」涙に限ってね。
別に科学的根拠なんてものがあるわけでもないし、単なる私の考えに過ぎないのだけど、
多分本気でつらかったり悲しかったりすると、涙は出てこないと思います。
(泣く=本気じゃないってことではなくて、あくまで私の場合です)
でも、それが「あたたかい」涙なら話は別なんじゃないかと思うのです。
・・・最近すごく涙脆いから、自分を守りたいだけかもしれないけれど。
本気で人を想っているからこそ、(言ってしまえば自分とはなんの関係もない)人の一挙一動に涙するのではないかな、と。
私は、もらった手紙はすべて棚にしまってあります。
自分に宛てた手紙。
大好きな人からもらった手紙。
もう疎遠になって久しいかつての友人からの手紙。
クラスで授業中まわしたメモ用紙。
色紙や、メッセージカード、どんなものも捨てられなくて、結局棚にしまわれています。
いろんな手紙があるけれど、そのほとんどは「相手(=鷹れん)のことを想って」書かれたものです。
感謝を伝えるもの、ごめんなさいを伝えるもの、1年間の区切りになるもの、単なる落書き
ちょっと大げさかもしれないけれど、「相手のために時間を割いた」のは確実で。
たとえその時間が5分だったとしても、10秒だったとしても、そういうやさしい時間があったには変わりなくて。
手紙の束を見るだけで、なんだかあたたかい気持ちになるんです。
つまり「あたたかい涙」っていうのは、そういうものなんじゃないかなって。
ただ相手のことを想い、相手のために時間を割く瞬間。
「涙」をよくいいすぎでしょうか。
それでも私は、そういう涙を流していきたいです。
最近涙もろすぎてやばい自分を労う(?)ため、ブログにさせていただきました。
鷹れん

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