以前、こんなことがありました。
大学のとある講義で、同じ学部の7人で一緒に座ろうと言われました。
しかし私は一番前で真剣に講義を受けたかったのに対し、後の6人は後ろのほうで講義を受けたい。
私には、「みんなに合わせて後ろで受ける」のと「ひとりで前で受ける」の、二つの選択肢がありました。
以前の私なら、前者をとっていたと思います。
私はこれまで、「真面目ぶっちゃって」「先生に媚びてる」などと言われてきました。生真面目さ、実直さゆえにいじめを受けた私にとって、「真面目に過ごすこと」というのは、とても大きな勇気を必要とすることだったのです。
しかし私が大学に来た目的は、教員免許をとるためです。もっと言えば、勉強をするため。
大学は一生付き合う友達を見つける場所だとか、
勉強はいつでもできるだとか、
若いうちに遊んどかなきゃとか、
いろーんな言葉を耳にします。
父親に「社会に出たら嫌でも時間に縛られるんだから」なんて言われたこともありました。
人生を何回も繰り返せるんだったら一回くらいまわりの言うように過ごしたっていいけれど、
当たり前ながら人生は一回きりで、
少なくとも今の私がやりたいのは「勉強」なわけで。
だから、後ろでみんなとお喋りする90分も楽しそうだけれど、それよりも90分勉強したほうが、私の気持ちには沿ってるんですよね。
まぁそんなこんなを考えて、結局後者「ひとりで前で受ける」ということを選択しました。
実際には、私の心配したようなことは一切無く、
「鷹れんは真面目なんだなぁ」
で済みました。
その後妙に距離が置かれることも、あの時みたいに文句を言われることもなかったのです。
自分のやりたい行動を自分でとってよかったと、心から思いました。
「ひとり」って悪いことなのかなぁ
私は学校でずっと「みんな違ってみんないい」と言われながら「みんな同じでみんないい」と教わってきました。
みんな同じ髪色で、同じ瞳の色で、同じ服で、同じ授業を受けて、同じように評価されて、同じような言葉を言い、同じ「正しさ」を信じ、同じ生き方をする。
それが正解。みーんなおんなじと。
だから、
違う髪色や瞳の色をしている人は「違う」。
その評価のしかたじゃ測れないような魅力を持ってても「落ちこぼれ」。
みんなと違う言葉を言い、違うものを信じる人は「ダメ」。
そんなレッテルを貼られる。
そんなことを教わってきた私にとって、「人と違う」「人と異なる」というのはとても恐ろしくて、大きなストレスでした。
でも、違うのなんて当たり前なんですよね。
全く同じように生きるなんてできないし、瞳や髪の色が違うのだって当たり前。そういう血筋なだけなんだから。
・・・今ではそう考えられるけれど、やっぱり世間体を気にしたりみんなで一緒になろうとする文化は根強くて、なかなか苦労しています。
共通する部分は一緒にすればいいし、異なる部分はそれぞれ好きなことをしたらいい。
そんな、ひどく簡単なことが、ひどく難しいんですよね。
もっと生きやすくなったらいいのになぁ。
鷹れん
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